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静けさで実践の進歩を計ってはいけないルアンプー・プラモート師
少しづつ
自分のことを観察するのですよ
法の実践を進め
クソン(善)が高まっているか
サティ(気づき)が速まっているか
アクソン(不善)は減っているか
はまり込んでいる時間は短くなっているか
感覚を感じている時間は長くなっているか
そうであるならば
私たちが実践していることは正しいやり方である
ということであり
結果が出ているということです
ですから
心に静けさがあるかどうかで
実践の結果を計ってはいけません
無知な静けさは非常に多いのです
ボーっとする静けさ
これらは使えません
ストレスフルに
静まれ・静まれと念じても
静まらないのです
そうではなく
アクソン(不善)が減っているか
新たなアクソン(不善)は生じづらいか
クソン(善)が生じやすいか
何度も生じるようになったか
クソン(善)かアクソン(不善)かで法の実践を計るのです
どれだけ長く座っていられたか
どれだけ長く歩く瞑想ができたか
これは全く正しくありません
どれだけ長く座っていられる人でも
モーハ(無知)に覆いつくされているかもしれません
モーハ(無知)に覆いつくされていても得られるものはモーハ(無知)なのです
座れば座るほど重症になるのです
昼夜を問わず歩く瞑想をしたとしても
ローパ(欲)で歩くのならば
得られるものは
対象に引っ付いたままで
自分自身を強制させ
煩悩に欲に対峙することではなく
煩悩に流されてしまっているのです
ほとんど
煩悩が修行するように強制しているようなものなのです
これは
気をつけなければなりません
煩悩が修行するように命じていること
それを知ることを間に合わせなければなりません
仏歴2568年2月9日