書けないのは、見つけて欲しいの裏返し
ついに今日、一日中noteのネタを何にしようか、何一つ拾えなった。
事あるごとに、
「これを書こうか?いや、ネタ探しにやっぱり出かけようか? いやいや、日常の出来事を拾いたい」と、あちこちへ頭の中がまとまらず、書ける時間がなかったのではなく、書くことが絞れず、今に至る。
ついに、書けない日来たーーーと思いつつも焦り、余計に書けない。
休日だった今日、noteを開けば何か、、と何度もパソコンを開き、閉じるを繰り返し、いよいよこの時間。
1日の終わりのタイムリミット。
今日は諦めてしまおうか?と思いながら、自分のこれまでのnoteを見返すことにした。
「noteを書けない時がいつかきたら、note書けないーーって書けるほど楽しもう」って記事を見返し、そうだ書けないって書いてしまおうと。単純だけど、私の今を言語化する、これに尽きると。
でわでわ、なんで書けないのか?考えることにしたて、浮かんだのは
面白いこと書かなきゃとか。
これはと思う気づきのある記事を書かなきゃとか。
少し、背伸びし始めてたんですね。
アンテナを貼るはずの日常に、特別を見つけ出そうと焦ってしまって。
どんどん、現実から離れてしまって。
自分のnoteを読み返し、過去を振り返る時間も大事な時間だなと。
もちろん、あの頃はよかったとか過去にしがみ着くのは違うけど、初心に戻るって必要なんだって改めて思いました。(まだnote1ヶ月そこそこの新人なのに)
きっと、「こんな風にかけたら」と私自身、皆さまのnoteを拝読し、目がこえてきたのかもしれない。
上手に書いて、見つけて欲しいが先行してしまった、今日この頃。
振り返りは、今を言葉にする大切さを教えてくれました。
書けないは、きっと何かの合図。
またきっと、今日のnoteは未来の私が前進するための記録になるのかもしれないな。
ふり返りになった記事はこちら。