こしあん
餡子のnote。2024.2.19始動。
大変ご無沙汰しております。 忙しさは変わらないものの、少しだけ容量をつかめてきたように思う、今日このごろ。 慣れないことに生活がついていかず、あっという間に季節が変わっていた。 また、小さな日常を残した行きたいと思います。 久しぶりにnoteをひらけたこと、すっごく幸せな朝だ。
自分のテキストにあまり自信が持てず、始めたnote。 とにかく書くことに慣れたくて、 とにかく書き続けてみたくて、 「ここがゴールだ」と目指すものもないまま始めた。 とにかく、とにかくと、特別なことは特に起こらない日常を拾い集めて、 毎日noteを開いて。 そのうち、ゴールはなかったはずなのに、どこへ向かってるんだろうと、 どこかへ向かうために、何を書けばいいんだろうと、迷子になりはじめ。 noteを開いてみるものの、これといった何かを見つけられず「投稿」のタブをクリ
よし、やり切ったと思う瞬間があって。自分の持っている全てが外へ出された瞬間にひとり脱力し、体から力が抜ける。 なんとも言えない達成感に続けてきてよかったと振り返るのだけど、 籠り切った時間からいざ外へ目を向けてみると、まだまだ私なんかでは足元にも及ばない人たちの功績が目に飛び込んでくる。 やり切ったはずのそれは、なんだかまだ味気なく、どんどんと薄れ埋もれていく。 満足を味わった瞬間は、私のなかで現実と一緒に無くなってしまう。 きっと生きるってずっとそんな感じで、没頭
タイトルに読書と入れつつ、ここのところ全く本を読めていない。 やることと、仕上げたい自分なりの期日があって、とにかく気持ちが落ち着かない。 パソコンの隣には、図書館で借りた書籍が積み上がって、 作業の期日と、図書館の期日にあっちこっちと目が泳ぐ。 読みたい、でも目の前のことも終わらせたい。 少し手に取ってみるもページを捲る前に、読んでる場合なのか?と煽ってしまう。 おかげさまで、noteの更新がしっかりと止まってしまった。 少し落ち着いて、今日このごろを振り返ってみる
気がつけば、4日ほどnoteが手付かずになってしまった。 さすが年度末。 バタバタと新生活の準備をしながら、家の中の掃除始めた。 花粉症のためもあって外に干せないんだと自分に言い訳をして(寝室からベランダまで遠くちょっと億劫になっていて)干し切れていなかった布団をコインランドリーに持っていき、新年度?らしい時間を過ごした。 夕方、ふかふかになった掛け布団を取りに行った帰り道、信号待ちの車の中で、歩道を歩く女性に目が止まった。 紺か黒のスーツに、ピンヒールとはまではいか
茨木のり子さんの著書、永遠の詩の中の一説。 帯にガツンと胸ぐらを掴まれ図書館で予約。 手に届き、ページを開きながら引き込まれました。 「さばさばに乾いてゆく心を ひとのせいにするな みずから水やりを怠っておいて 気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか」-本文- 向き合う友人の顔を気難しくしてしまっているのは、甘えと頑なになっている自分自身かもしれない。 茨木さんがご自身へ向けた詩は、私自身に響くものがあ理、日々を振
久しぶりに晴れた。 ここのところ雨続きで、豪雨と雷と横風の中。 雨に当たると、身体の中から冷えそうになりながらも、この時期の雨の朝は、窓を開けた瞬間、土の湿度の匂いと、生ぬるい風が吹いて、春がきたなと季節を感じることが多い。 そんな、しっとりとした日が何日か続いた後の今日の晴天は、今にも桜が咲きそうだった。ようやく、少し軽めの洋服で出かけられる。 日中は、会う約束をしていた友人と食事をした後、図書館によった。 とはいえ、予約マックスのためプラット借りれる枠はなく、予約して
神保町へ行ってきました。 久しぶりの聖地。 ぷらぷらと歩くだけでも、ここのところ引きこもりだった生活がリセットされ、「また明日から通常運転で頑張れる」エネルギーになりました。 都内へ出ると、降りる駅で街の繰り出す世界がガラッと変わってとっても新鮮。 人も、ビルも、道もみんな違う。 いい刺激になりました。 神保町へ行く前に、一度行って見たかった銀座の蔦屋へ。 迷路みたいで、棚ごとの世界観に見惚れて一日ここで過ごせてしまえそうな書店でした。 プラッと出かけられる距離だったら
読んでいない本って聞くと、積読だったり、SNSの投稿で見かけたことはあるけど手には取っていない本だったり、そもそもまだ出会えてすらいない本だったり?と思っていたのだけど。 「読んでいない本について堂々と語る方法」を読んで、ガラリと読書の景色が変わりました。 読んでいない本。 どこをみて、読んだ本と読んでいない本と語るか? ただの活字中毒の私からすると単純に、「なるほど」となる一冊。 「こんな読書がいい」、「本はこうして読む」などの読書術はたくさん出ていて、好きな本ばか
ついに今日、一日中noteのネタを何にしようか、何一つ拾えなった。 事あるごとに、 「これを書こうか?いや、ネタ探しにやっぱり出かけようか? いやいや、日常の出来事を拾いたい」と、あちこちへ頭の中がまとまらず、書ける時間がなかったのではなく、書くことが絞れず、今に至る。 ついに、書けない日来たーーーと思いつつも焦り、余計に書けない。 休日だった今日、noteを開けば何か、、と何度もパソコンを開き、閉じるを繰り返し、いよいよこの時間。 1日の終わりのタイムリミット。 今日は
先日、朝noteに切り替えたにもかかわらず、朝の習慣が出来上がってしまっているせいか、noteを開くのがお昼になってします。 夜寝る前に、次の日のやることリストを付箋にメモし机に貼っておくのだけど、ここにnote更新を記載しないと、今まで通りのスタートになってしまうことに気がつきました。 改めて習慣てすごいなと思うのと、朝忘れていても、こうして更新できていることに、これはこれでnoteが習慣になっているのかな?と思ったり。 まだまだ、1日のなかですっぽりと落ち着く場所を
本日、note開始から1ヶ月。 noteさんの粋な計らいによって1ヶ月記念のお知らせをいただき、小さな節目を迎えました。 30日毎日投稿には至らなかったけれど、まずはやめていないことに安堵。 自分を言語化するため日々の小さな出来事にアンテナを貼り、メリハリがついてきたことも楽しくなっていたのだけど、 何よりnoterの皆さまがコメントくださったり『いいね』を置いて行ってくださったり、こんな小さなアカウントを見つけて足跡を残して行ってくださる優しさがとっても励みになっており
年に何度かある、早朝出勤だった今日。 5時から15時までの仕事を終えたら早めにビールを開けようと缶ビールを用意して。 見事に仕事終わり寝てしまった。 気づけは夕方。 そのまま寝たい身体を起こして、ビールを飲みたいがために夕食の準備。 冷蔵庫に忍ばせていたあの焼きそばを作ることにした。 炒めた豚肉とピーマンに麺を絡め、魔法の粉をかけたら完成。 ときどき無性に食べたくなる。 昨日のお味噌汁と、茹でたほうれん草を添えて缶ビールの準備。 昼には、プシュッと開ける予定だった
表紙と帯と、後書きの不一致さにひかれ、朝吹真理子さんの小説を初めて読んだ。 いい意味でどんな物語が書かれているのか全く想像できないシルエット。 ページを捲りながら思ったのは、情熱でもなくでも冷めている訳でもない、常に常温の感情が漂っているような感覚。 それでいて、美しい文章が並び背筋が伸びる。 画家の個展行って表紙の解説文を読んでいるような、眼鏡をかけた物静かなマスターのいる薄暗い喫茶店で、アート雑誌を読んでいるような、自分自身もどこにいるのかわからなくなり、一緒に時
毎日、生活していると「なんで、こんな時に」とか「どうして今なの」と問題に直面するタイミングにときどき遭遇する。 不便になってしまったことへの不満が溢れ出しそうになるのだけど、きっとそれは不自由なく生活ができている毎日があるからなんだろうと思う。 携帯は繋がって当たり前、道が綺麗に舗装されているのは当たり前、電車が通常通り動くのは当たり前。 こうして、noteへ簡単にアクセスして、投稿できるのも。 でも、その当たり前を当たり前のように毎日整えてくれてる方々がいて、私たち
昨日、noteの時間を朝に設け1日をスタート。 それまで夜にnoteを書いていた3週間は、その日の出来事だったり、読んだ本のことだったり、頭の片隅に残った言葉たちを1日の終わりに思い出しながら、note時間までに頭の中で整理する生活だった。 日中、今日は何を書き留めようかと巡らせる時間は確かに楽しかったのだけど、夜パソコンを開くまでに、なんとなく頭の中で言葉に変える。 仕事をしながら、本を読みながら、何かしながら、少し焦るように頭の中は言語化をするために忙しなかった。