アンカシモリ
思いつくまま、思い出すまま、ふと書きたくなるようなこと
ささやかなこと何でもないようなこと、日々の営み
驚き喜び痛み悲しみ・味わってきたこと・思い出すこと・今感じられること
2020年、コロナの影響で様々なことが強制停止状態になって、改めて自分を深く見直すことができたと思う。自分の原点。原点回帰。思い起こさせられることが本当に多かった。 そう、実際その影響を強く感じ始めたのは春から初夏の頃。でもその頃はまだ、あくまで「今までの延長」で何かできることを探した。何かできることはないかと躍起になった。でもなかなか、形にすることができなくて。 そんなことを繰り返したら 「本当は自分は何もしたくないのだ」 という所に行き当たった。 何もしないこと
先日行った某カフェ、とても感じのいい店員さんだったもののアイスコーヒー提供の際「ここちょっとこぼれちゃってすみません」とスマイルで去られ「拭かないんだ」と。ソーサーにほんのちょっとだったけど、私の中ではけっこうな残念ポイント。混んでる訳でもなかったし私なら一旦持ち帰って拭く。残念
あるレシピ見てたら材料のとこ、はちみつが「はちみち」になってて不覚にも吹いた、一字違うだけでこの破壊力よ
過去とバランスよく繋がっていこう
ものわかりいい感じで人を尊重して接してると勝手に寛容だと思われサラッと無理難題持ち掛けられたりサクッと後回しにされたりないがしろにされてびっくりするのでものわかりがいいって美徳ではないのかもしれない、面倒臭い人くらいに思われている方が人生生きやすいのかもしれない、そんな朝の気づき
今朝ちょっとしたことから夫に怒りを炸裂させた、原因は私の収納スペースに夫の私物が侵食していること(前からよくある・言ってる)、そこから過去を思い出したら感情が止まらなくなった、結婚当初にいろいろ言われたやられたあれこれ、ひととおり吐き出してつき物が落ちる。 最初の怒りを皮切りに出てくる過去の怒りや恨み、なんかもう残り滓みたいなもの、でもそんな滓はまだ私の中にあるんだな。 そして夫に対して怒りを吐き出した後に思った。 私は『誰かのせいで不幸な私』という立ち位置に溺れて
昔友人が「IK◯Aの本棚組立めちゃ大変二度買わない」とブログで書いてたの何年越しで今体感してる…重くて大変一人では無理とか工具必要で結構面倒わかりづらいとかそもそも色々あるけど私が間違えた箇所のやり直しがサクッとできないのが一番の問題、夫と気まずくなってます、ええ私が悪いです私が
あなたがやってきたことも やらなかったことも 全部間違ってなかったよ。
11日の寅の日に買う!と宣言しておきながら結局買わなかったよPC。昨日家にあるガジェットを駆使して作業してたらまだ新調しなくてもいいなと分かったため。たぶん本当に必要になったら「寅の日がいい〜」とか考える間もなく気づいたらポチってると思う。考えるな、感じろ!それでいいんだなうん。
時々食べたくなるここのナポリタン、一回メニューから消えたけど復活したからやっぱ人気だったんだろうな🍝いただきます😋
某件の予約変更完了、変更に伴う若干の内容変更もむしろ私にとって都合よくてほっとする。やはり心の動きに忠実だと流れもちゃんと乗ってくれる感じ。
前の記事で「人にどう思われるかこわい」という思いがあることを書いた。 そしてもうひとつ、思い出したこと。それは「相手が今、どう思っているのか」という顔色を読む癖のようなものがあったこと。昔会社勤めをしていた際、人に何か聞かれた時「何て答えて欲しいんだろう」と表情を読み取って「言って欲しそうなことを言わなくては」と必死だったことを覚えている。誰に対してもそうだったわけではない。おそらく「上」の人に対して、それが発動していたように思う。 先日のとある出来事から、そのことを
人にどう思われるかこわい、ということをもう随分無意識にやって生きていると思う。ただそれを「こわいんだ」と自覚してからはそんなに経ってないような気もする。「人からどう思われるか」を意識して生きることが標準装備になってしまっていたからだろう、それこそ無意識のうちに。 「自分を見つめる」ということに意図的になってから、自分は思った以上に人目を気にしているということに気づき、さらにその先には「人からどう思われるか」ということに対するこわさ、恐怖心のようなものすらあると知った。
11日にMac買おうなぜ11日かといえば寅の日だから大きい買い物だから勢いつけないと……
「自己満同士で生きていく」 思い浮かんだのでとりあえずメモしておきます
とにかく何か書いてみよう