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短編小説 「蕎麦前」 第20回深大寺恋物語応募作品

 ピコン。
 意識が音によって引き戻される。どこだっけ。見慣れた視界、いつものテーブル。着信音か。昼食後うとうとしてしまったらしい。朦朧とした頭で画面を確認すると岡田の名前が表示されている。
『森さんにふられたのでもう五人で遊べません』
 は?
 一気に目が覚めてメッセージを読み返す。森さんにふられた? 速攻で白崎に連絡してみると、やはり白崎にも同じメッセージが届いてる。
「なんだよもう五人で遊べないって」
 つい口をついて出た言葉に自分でもびっくりしながら、立ち上がって着替えるためにテーブルを離れた。

「産業情報学科の人?」入学式の日、教室の前でうろうろしてたら声をかけてくるメガネのやつがいた。岡田だ。一緒に教室に入って、名簿順の座席を探したら俺の後ろの席に座ってた天パのやつ。それが白崎。三人でいるようになって、しばらく経って白崎に「アニメ漫画同好会の仲間が隣のクラスにいるんだ」と紹介されたのが森さんだった。黒縁眼鏡の奥の切れ長二重と長いまつ毛。昭和レトロなのかただの古着なのか、その服装とあいまって『手塚治虫の漫画にいたなこういう人』と思う。気、強そう。そんな俺の心知らず、隣で岡田は俯きがちになっている。切れ長二重の瞳に、吸い込まれたのだろうか。

「今度、鬼太郎茶屋に行くんだ。深大寺ってとこにあるんだけど知ってる?」
 二年になった梅雨の頃、じっとりした空を見てたら白崎がそんなことを言い出した。深大寺って確か……考えてたら岡田が勢いよく右手を上げ、食い気味に言った。
「はい、俺も行く!」
「……別にいいけど。森と約束してるから、一応聞いてからね」
 ん、と言いながら口角を引き上げた岡田の顔が、間違ったアヒル口みたいになっている。やっぱり。鬼太郎茶屋というからには森さんも一緒だろうというのは想像に易く、岡田がそれを見越して行きたいと言い出したのは見え見えだった。
 でも、そう、深大寺。
「それ俺も行きたい」
 以前、調布市に住んでる先輩が「うちの親父、外食嫌いのくせに深大寺の蕎麦屋にだけはついて来るんだよな」と話していたのを思い出す。そんなに美味いのか? それから深大寺は気になっていた。
 「蕎麦前なくして蕎麦屋なし、だ」
 得意気に話すじいちゃんの顔が浮かんできた。

 バスで行くということで待ち合わせた駅の改札を出ると、すでに白崎と岡田の姿が見える。小走りで近づくと森さんもいる。そしてもう一人、誰か隣にいる。まるいなで肩のシルエットと長い髪。今日は四人じゃなかったのか。俺に気づいて口の形を「お」にした白崎が、手を振って俺を招く。
「志田〜、こっちこっち。こちら、森の友達の咲ちゃん。西咲良ちゃん」
「こんにちは、西です」
「どうも、志田です」
 離れ気味のたれ目で、ちょっと所在無さげに笑う彼女はどこか淋しそうに見える。誰かに似てるような気がするけど思い出せない。
「バス、乗るよ。深大寺行きこっちかな」ぼんやり考える俺を遮るように、てきぱきと先を歩く森さんと西さん。その後を男三人ぞろぞろついて行く。カルガモか。

「あんたのとこうちより田舎みたい」以前引っ越しの手伝いに来た母ちゃんは、なぜか勝ち誇ったような顔をして言った。そう、東京は案外緑が多い。久しぶりに乗ったバスの車窓から外を見て思い出した。確かにどこもかしこもきらびやかなわけじゃない。大通りから一本入っただけで閑散としていたりする。バスを降りると、一瞬すっとした静寂。視界が初夏の鮮やかな緑で覆われ、どこからか水の音がする。目当ての鬼太郎茶屋は門からほど近いようだ。
 店に入る前から水木しげる先生(呼び捨てにしたら怒られた)の話で盛り上がる白崎と森さん、そこここにいるキャラクターにいちいち反応してテンション高めの岡田、笑顔で相槌を打つ西さん。メニューひとつ決めるにも大騒ぎ、そんなみんなの話を笑って聞いてるだけの俺。意見を求められないのはいいな。
「志田くんってもっと引っ張ってくれるタイプかと思ってた」
 過去に何度言われたことだろう。背が高いせいか? 俺は人について行くくらいの方が性に合ってるのに、何を期待しているのか。みんな勝手に近づいて、勝手に去っていく。泡が消えた抹茶は急に苦みが濃くなったようで、饅頭を手で割って口に放り込む。甘い。
「次は私、お蕎麦屋さんに行ってみたいな」
 ふいに、西さんの声が耳に入ってはっとする。今、蕎麦屋って言った?
「この辺、店いっぱいあるもんね」岡田が返すと、西さんが続けた。
「うちの母がね、作家の池波正太郎が好きで。読むとお蕎麦屋さんでお酒を飲みたくなるとか言って、いつもお蕎麦の前に料理とお酒頼むんだよね」
 うちのじいちゃんと一緒じゃないか。それ蕎麦前っていうんだよ。
「それを口実に飲みたいだけかもしれないけど、ほんと嬉しそうに飲むんだよ。たれ目をさらにたれさせながら。ふふ。それがまたすごい美味しそうで」
 恥ずかしそうに笑う西さんの目も、さらにたれている。
 そうだこの目は、ロバだ。ロバの目に似てるんだ。
「それで私も、二十歳になったらお蕎麦屋さんでお酒飲むの、やってみたいと思ってて」
 にこにこ笑う西さんのたれ目はきっと、お母さんと同じなんだろう。蕎麦屋で日本酒。それ俺もだよ。うちのじいちゃんもさ……口を開きかけたところで、店員さんの声と被ってしまう。
「ラストオーダーのお時間ですがー」
「あ、もう大丈夫です。そろそろ行く?」時計を見て、白崎がみんなの顔を見る。
「……閉店、思ったより早いんだな」つぶやくと、岡田が調子よく言った。
「今度はもっと早く集まって、みんなで蕎麦行こうよ。ね、咲ちゃん」
「ぜひ。十一月が誕生日だから、それ以降でお願いしまーす」
「咲ちゃんまだ十代か〜。ちょうど紅葉の時期でいいんじゃない?」
「楽しみ!」
 五人での時間はなかなか居心地がよかった。メンバーのバランスがいいというのか。主に白崎と森さんが喋って、岡田が西さんと喋って、俺が聞くという図式。それが心地いい。何もしなくても、そこにただいることが許されている感じ。
 その後も、岡田の声がけで二度ほど五人で遊んだ。夏休みに入ってしばらく機会はなかったけど、念願の蕎麦屋も十一月には五人で行くことができそうだ。

 そう思ってたのに、夏休み明け早々、まさかこんなに早く岡田が告白するとは。
 メッセージを見てすぐに俺は、白崎を誘って岡田のアパートを直撃した。勢いのまま行ったにもかかわらず、案外あっさり部屋に入れてくれる。
「いや、だからメッセージの通りだよ」
 岡田は冷蔵庫を開けながら、なんか飲む? とペットボトルを取り出す。いつもは片付いている部屋が今日は鬱蒼として見える。ザッとカーテンを開けながら白崎が言った。
「森に告白したの?」
「した。全然ダメだった」
「お前咲ちゃんとばっかり喋ってたじゃん。森だって想定外だったと思うよ」
 いやいや。「俺は岡田が森さん意識してるの、気づいてたけどね」
「うそ」「まじで?」二人の声が被る。
「夏休み地元で同級会があってさ。就職してる仲間も来てたんだけど、社会人の大変さを知ったというか」
 話しながら岡田は、神妙にお茶を注ぐ。
「いかに学生とは違うかってこと散々聞かされてたら『時間ないな』って思っちゃったんだよね。三年になったら就職活動も始まるし」
「まぁ確かに……でもまさか岡田がそんなに森のこと思ってたなんてな」
 岡田の顔を覗き込むようにしながら、白崎はお茶を受け取った。
「正直、自分でもよくわかんないんだけど……森さん見てるとハラハラするんだよね」
「ハラハラ」
「ちょっと変な服とか着てるけど妙に似合っててさ。強気っぽいのに天然だし、たまに一人でツボに入ってずっと笑ってたり。睨まれると超怖いけど、なんかこう、目が離せないというか」
 手で持て余していたペットボトルの蓋を開け、岡田は直接口をつけて飲む。
「気がついたらいつも考えてるんだよね、森さんのこと。伝えなきゃこのまま平和に遊べるよな、とも思ったよ。でも」
 岡田は天井を見上げる。
「このまま以上の関係になりたかったんだよなぁ」

 森さんが気になるから、気軽に話しかけられない岡田。森さんに話しかけられないから、西さんとばっかり喋っていた岡田。常に白崎から森さん情報を引き出そうとしていた岡田。五人での集まりをいつも仕切ってくれた岡田。勇気を出して、森さんに告白した岡田。
 岡田、岡田、岡田。勝算なんてあるようには見えなかったのに。お前すごいよ岡田。

『森さんにふられたのでもう五人で遊べません』
 メッセージを見た時、驚きの後に小さな怒りが来たのは、居心地のよかった五人での関係を壊されてしまったように思ったから。小さく芽生えた俺のささやかな楽しみを奪われた、そんな風に思った。自分が思っていた以上に、俺は十一月の蕎麦を楽しみにしていた。
 西さんと池波正太郎について語りたかった。じいちゃんのことも話したかった。初めての蕎麦前を西さんと一緒にやりたかった。たれ目がさらにたれる笑顔をもっと見てみたい。どこか淋しそうな瞳の、その秘密を知りたい。
 今からでも誰かお膳立てしてくれないだろうか。俺はやっぱり西咲良と深大寺に行きたいんだよ。自分が本当にやりたいこと、誰かがお膳立てしてくれるのを待っているだけなんておかしいだろ、それは分かる、分かるけど。
 俺が誘うのか。
 腹なのか胸なのか、何かせり上がって口から出てくるような気がする。
 俺が動かない限り、きっと実現することはない。いつもよりしょぼくれて見える岡田の背中を見ながら、俺は途方に暮れるふりをする。
 自分がどうしたいかなんて、もう分かってるくせに。

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