新しい一週間が始まるぞう。Vol.24

画像1 息子が大学生の頃だったでしょうか。帰省して一緒に鍋をつつきながらハイボールを飲んでいる時、動画を観ながら息子がこんな事を言いました。「パパ、戦争とか不況とか犯罪とか病気とかで亡くなる人って世界にはたくさんおるよね?人ってなんのために生まれてくるんやろね?」たまに難しい質問をしてくるので私もつい考え込んでしまいます。大学の講義の中で、そんな話題になったようです。「そうやなぁ・・」と、すだち入りのハイボールを私はグイッと飲みました。
画像2 息子はママの実家のある新潟の病院で産まれました。大きな産声をあげ、真っ赤な顔の元気な赤ちゃんで、一番大きな泣き声だったので、看護士さんも笑ってくれました。「こんなに大きな声で、将来楽しみですね!」と。妻は感激で泣いて、その後笑って、また泣きました。外は大雪でした。その雪を眺めながら、私は胸が熱くなったのを、今でもはっきりと覚えています。
画像3 息子もすくすく育ち、翌年の冬に娘が生まれました。その後まもなく、妻は病気のため他界しました。妻は笑顔が美しい、明るい女性で、私も二人の子どもも、たくさんの勇気をもらいました。どの写真を見てもニコニコ笑っていて、家族にとって大きな向日葵のような存在です。太陽の生まれ変わりのようです。息子も娘も、今は社会人で、このたくましくなった姿を見たら、ママはまた泣いて、たくさん笑うんだろうと思います。向日葵のように。
画像4 妻は生前、よく言っていました。「ねぇ、この子、産まれる時も産まれてからもあんなに大声で泣いて先生も看護士さんもびっくりして笑ってたでしょ?赤ちゃんって、その時一生分の涙を流すから、これからは一生笑って欲しいな。その笑顔のために生きるのが親の役割だよね!」と。私は妻と出会い、結婚して子を授かるまで、一体どのくらい親に迷惑をかけ、好き勝手生きて来たんだろうかとふと考えました。これからは、ほんの少しずつでいい、自分以外の誰かのために生きていかねばと、妻と子どもの顔を見ながら思いました。
画像5 息子は子どもの頃、食がとても細くて、私はたくさん悩みました。地元の保健師さんさんにも何回も相談し、その度に「今は心配だと思いますけど、いっぱい食べてくれるようになりますよ。お父さんより食べて、今度はそっちの方が心配になるかもですよ!」そう励ましてくれたのもいい思い出です。その時の保育士さんの笑顔、すごく優しくて温かかったなぁ。
画像6 息子は小学校高学年、そして中学にあがる頃には私よりたくさん食べるようになりました。大きなお椀におかわりをして、その後パンを食べるくらいでした。そして試験期間は夜食に焼きそば。こんなに食べて大丈夫かな・・?保健師さんの予言は見事に的中しました。その話をすると、「よかったですねぇ」と、今でも笑ってくれます。「あんなに小さくて可愛らしかったのに、ずいぶんと頼もしく育ってくれましたね!私も嬉しいです!」「ラーメンは替え玉三回以上、牛丼は特盛、食べ放題のお店じゃないと財布がすっからかんですよ!」笑い話です。
画像7 私はなんの取り柄もない人間です。だから妻も子どもも、こんなパパにはもったいないくらいだと思います。だから偉そうな事なんて言えない。けどあなた達に出会ってたくさん笑えた。人は笑顔になる為に生きているんだと思う。笑顔の花を咲かせる為に。涙も大事な栄養だ。だから赤ん坊は泣くんだ。ちょっと余裕があるのなら、自分だけでなく誰かを笑顔にしたい。それが生まれた意味かなぁ。今度息子とゆっくり飲む時、そんな風にカッコよく言えたらいいのにな。とっておきのお酒を飲みながら、もちろん笑顔で。天国のママも、笑ってくれたらいいな。

私の記事に立ち止まって下さり、ありがとうございます。素晴らしいご縁に感謝です。