さくらんぼが笑ったら
今日はいろいろと慌ただしい一日の始まりだった。
私はドラッグストアで登録販売者として仕事をしているのだけれど、自分の勘違いというかミスというか(どちらも言い訳にはならないが)、商品の発注の数を間違えてしまい、新しい売り場を作成することが出来なかった。
また、お客様からのちょっとしたクレームも重なってしまい、その対応にも多くの時間を使った。
こういう時は、「早く一日が過ぎないかなぁ」と、後ろ向きな感情が頭の中をぐるぐる回る。
鏡を見るととんでもなく疲れて顔色の悪い表情をしているので、冷たい水で顔を洗った。
心の中でため息をつきながら仕事をしていると、「松本さん!」と声をかけられた。
普段聞きなれない声だな?と思って振り向くと、それはY先生であった。
Y先生は、息子が小学校の時、三年間担任としてとてもお世話になった女性の先生である。
お会いするのはかれこれ十五年ぶりくらいだったので、私は懐かしさと驚きと、当時のいろんな思い出が急に浮かんで胸がいっぱいになり、気の利いた挨拶も出来なかった。
「あ、先生お疲れ様です」
と、トンチンカンな受け答えをしてしまい、今こうして思い出しても恥ずかしさで顔が赤くなる。
Y先生は、息子が小学生になってからの最初の先生であった。
いつもにこにこ笑い、優しくて厳しくて、何よりも温かく、月並みな表現ではあるが、私達家族にとっては「太陽」のような存在の先生であった。
私は先生が担任だった三年間、毎日連絡ノートを書き、先生も毎回必ず赤色のボールペンで返事をくださった。先生が学校での業務が忙しい時などは、放課後残って書き、帰りに私の家までその連絡帳をわざわざ届けてくださることも多々あった。
息子の学校での様子はもちろん、教育に関しての考え方や、世の中の状況、自分の学んだことなど話題はとにかく多岐に渡っていた。
お互いの生い立ち、出身校、趣味などを書き合うことも珍しくなかった。
私も家に帰ってシャワーを浴びると、まず最初に息子が持って帰って来たこの連絡帳に目を通すのが毎日の日課となっていた。
この思い出の連絡帳は、何十冊という数になったが、六年前の熊本地震で水に濡れてしまいほとんどが読めなくなってしまった。
息子が一年生だったある時、先生とこんなやりとりがあった。
『先生、いつもクラスでの様子を詳しく教えていただきありがとうございます。発表会の劇の声合わせの件、しゅんにもそれとなく話を聞く機会がありました。みんなで進めていく練習をしているのになんで途中で自分だけ読まずに中断してしまうのか、ご飯を食べながら尋ねてみました。
自分でも理解はしているような感じで、最初は理由も話してくれませんでした。その役が嫌だという訳でもないようで、何か引っかかっている感じが私にも分かりました。あまり強く聞いてしまうと泣きそうな雰囲気でしたので、「もしパパだったら、こうしたい、ああしたいというのを、先生とかみんなにはっきり伝えるんだけどなぁ」と、自分に置き換える形で話を進めました。
なかなか自分の言葉で表現が難しい様子で、大好きな唐揚げを食べながら、「おれにはちょっと難しいなぁ」と、言ってくれました。
子供の心を理解するのは本当に難しく、時間がかかり、時に骨の折れる作業だなぁと思います。
大人の頭では当たり前のことも、子供にとっては疑問だらけで納得のいかないものもたくさんありそうです。
私はしゅんが母親を亡くしたという事実や、これからの現実に決して負けないようにと、私の物差しで話したり、はっぱをかけたり、それが負担になっているかも知れないなぁと、ふと自信がなくなってしまいます。
「片親だから、あの家庭はお母さんがいないからしょうがないよね」
ではなく、
「しゅんくんは母さんがいなくてもあんなに立派にやっているよね」
そう思われなければならないと、子供にあれこれ期待を押し付けたりプレッシャーを与えたりしているのかも知れません。
もっと余裕を持ち、おおらかな気持ちで子育てをしないといけないと頭では分かっていても、つい大きな声で怒鳴ってしまったり、過度に反応して注意したり、それは親のエゴであって子の為にはならないと思ったりもします。
いくら二人三脚と言っても、片方の足が早過ぎては転んでしまいます。
もっと同じ目線に立ち、子供の立場になって話をしていかねばならないなぁと、反省しています。
子は自由に伸び伸びさせたがいいのか、小さいうちはある程度口を出して、的確な指示を与えた方がいいのか、日々悩みと葛藤でため息ばかり出てしまいます。
なにか子育ての愚痴のようになってしまい、いつも反省しています。
劇の練習の件、また聞かせてもらえると幸いです。
いつも心配ばかりかけてしまい、親子揃って申し訳ないです』
『今日、しゅん君ともしっかり話をしました。その中でしゅん君、泣いてしまいました。すみません。台本の読み合わせをして、しゅん君の番になってもやはり下を向いて黙ったまま、何も言わない時間が続きました。
周りのお友達も、「こうやって読んだら?」とアドバイスをしてくれたのですが、それでも下を向いていました。私も、「何か読み方で難しいことがあるなら言ってごらん?」と聞いたのですが、返事がありませんでした。
「今はみんなの大切な時間ですよ」と少し強めに注意をしたら、泣き出してしまいました。
そして、「間違ったように、下手くそな感じで読むのが出来ません」と言ってくれました。
しゅん君の役は全体をまとめる一番大事なナレーターです。その中で、言葉をたどたどしく、詰まりながら読むシーンがあるのですが、普段から音読の上手いしゅん君には、わざと下手に読む、ということが理解出来なかったようです。
私ももっとわかりやすく、最初からきちんと教えていればよかったのに、しゅん君の朗読に甘えてしまい、任せっきりだったことを深く反省しました。
大人の私が勝手に頭の中で作り上げた理想を、一年生のしゅん君に押し付けてしまっていました。
国語では、上手に感情を込めて読む指導をしているのに、この劇ではわざと下手に読む、そんなことは大人でも難しいことだと思います。
その後、話の内容を少し変え、しゅん君の持ち味の出る語りに変えたところ、びっくりするくらいの腕前で、私は目がテンになってしまいました。
「さすが童話発表会の学校代表だね!」と褒めると、にっこり笑って給食も私の横でたくさん食べてくれました。
松本さんがおっしゃるように、小さな子供に対する接し方は本当に難しいと思います(教師失格ですね・・)
子供は機械ではないので、一人一人に個性があり、皆一様ではありません。
そして子供だからと大人目線で相手をすると、とんでもないカウンターパンチをもらい、驚いてしまいます。
この前、蜘蛛の糸、という、一年生には少し難しい話を紙芝居で見せる授業がありました。
「今にも切れてしまいそうな糸を登っていて、もしたくさんの人が後からついて登って来てたらどう思いますか?下の人にどんな声をかけますか?」
と尋ねると、しゅん君は、「もしパパがまだ地獄にいるのなら、ぼくは一緒に地獄に行く!だってそっちの方が楽しいもん」と、そんなことを言ってくれました。
私は長年教師をしていて、一年生でそんな風に考える生徒を知りません。
またひとつ、大きな気付きをしゅん君から教わりました。
そしてそれは大人が教えて身に付く思考ではないと思います。
松本さんも、日々子育てや教育について真剣な分、葛藤もあるかと思います。私なんて葛藤を飛び越えて絶望の淵で揺られています。
ですからあまり心配なさらず、今のままのしゅん君を大切にしてあげて下さい。(偉そうにすみません)
子供はきちんと怒ってくれる人のそばに寄って来ますから。
※何かの話でしゅん君に「果物の中で何が一番好き?」と聞いたら、
「さくらんぼ!」と答えてくれてとても嬉しくなりました。
実は私もさくらんぼが大好きなんです。亡くなった母がよくお弁当に入れてくれたので、それが影響してるのかも知れません。ちなみにしゅん君は、
「双子みたいにくっついていて可愛らしいから」
と、詩人のようなことを言っていました。
今日も長文になってしまい、本当にすみません。』
先生は相変わらずお元気そうだった。
「今は市内の児童養護施設に勤務してまして、子供たちに囲まれて毎日が勉強です」
と、昔のように笑ってくださった。
笑顔が素敵だなぁと、今日も思った。
そう言えば先生の退任式が行われた後、私は先生に花束を渡した。
そして保護者と生徒がみんなで書いた寄せ書きをプレゼントした。
先生は目を真っ赤にして泣き、「子供たちやみなさんに出会えてよかったです。子供たちに何も残してあげれなくて、それでもこんなによくしていただいて、教師になってよかったです」と、ハンカチで目頭を覆いながら何度も頭を下げていた。
私は先生が泣くのをその時初めて見た。
そんなことを思い出しながら、先生を見送った。
そんな、いい一日だった。
笑顔と涙は、双子みたいだ。
同じ顔から産まれるから。
先生が大好きなさくらんぼのように、
ふたつ仲良く、くっついている。
ほんのり甘く、すっぱくて、赤くなる。