英語の「過去形」と「現在完了形」の違いを覚えるための最高の方法
始めに
英語の習得
日本語話者が英語の難しさを感じるポイントは多数あると思われるが、その代表格といえば「過去と現在完了の使い分け」なのではないだろうか。
英語の過去は「動詞の過去形」(e.g. played)単体で、現在完了は「助動詞have + 主動詞の過去分詞」(e.g. have played)の組み合わせで示され、日本語では共に「~した」と訳せることがかなり多い。
それだけに何がどう違うのか疑問に思った人は少なくないだろう。
もちろん需要の高さから日本の英語学習の方法論にはそれなりの蓄積があり、たとえば現在完了には完了・経験・継続などの用法があり、過去の特定の時のみを表す副詞とは併用できない――といった解説は行われているが、難しいという印象を覆すには至っていないと思われる。
今日はそうした過去と現在完了の使い分け方を親しみやすく、そしてそしてその背景まで含めて深く語る機会としたい。
言葉の世界との接し方
日本人の大半は日本語を第一言語(母語)としており、それと異なる特徴が特に多い英語の習得は容易ではない。
さらに近年、世界では言語権という概念の重要性が知られるようになりつつあり、たとえば日本語話者は英語を学ぶコストをかける必要がある一方で英語話者は楽ができて往々にして他言語を学ぶ意欲に乏しいといった不平等の是正を求める声は高まっている。
従来の英語学習の分野においては英語習得の価値を強調する一方でそうした言語の平等への配慮が十分になされてきたとは言いがたく、それも英語教育への反感に繋がっていることは想像に難くない。
英語由来の外来語に親しみを感じつつも、義務教育の段階から多大な労力をかけて学ぶことを求められてきたことやその煽り方によって英語教育に良い印象を持っていないという人も多いことだろう。
そんな中にあってこうした言語とどう向き合うか、というのは私を含め言語の仕事や学問に関わる者たちにとっても重要なテーマである。
残念なことに英語教育の世界では意識的か無意識的であるかを問わず、妙に危機感や劣等感や選民思想を煽る手法が未だに根絶されていない。
bとvやlとrの発音、過去と現在完了の違いなどの違いを混同の余地のないまったくの別物と大袈裟に強調したり、英語を習得し英語での対応を行うことを人格的な優越性と結びつけたりする言説などがそれに当たる。
そうした騒音やしがらみによって本来興味が尽きない他言語との出会いが歪められてしまうのは不幸なことである。
実際にこれらは区別されることもある一方で同じように扱われる言語や事例も多く、そうした事実やその背景は言語学の世界ではよく知られている。
たとえば日本語の「~した」も基本的に過去と完了の兼用なのと同様に、ラテン語にも過去と現在完了の形の区別はなく、英語の過去の"I placed"も現在完了の"I have placed"も通常はlocō「置く」の完了形に当たるlocāvī「置いた」で表される。
bとvの区別がない言語やlとrの区別がない言語も珍しい存在ではなく、中には区別がある状態から合流し区別がなくなった言語も存在する。
今回は英語の過去と現在完了の話を出発点に、言語学の見地から「過去と完了とは何か、互いにどういう共通点と相違点があるのか」を解説する。
次回は英語の過去形と現在完了形の起源を語り、他の言語との対照分析を行い、両者は本当にまったく異なる概念なのかといった話をしていきたい。
そしてそれは英語習得のためだけでなく、その枠を越えて言語という概念の興味深さを感じるきっかけになると私は信じている。
英語ができるかどうかに留まらず、言語はどのような原理で作られているのか、言語を純粋に眺めることを通してどういう興味深いことがわかるのか、言語とどう向き合うべきかを考えていくことに価値がある――それこそが私が言語学の世界の事物や人との出会いから得た大切な教えである。
過去と現在完了がある言語では区別され他の言語ではまとめて扱われる背景には何があるのか、といったテーマもその一環で、詳しく見ていくことでどちらもそれなりの理由があることがわかるのである。
そしてそれが義務の喧騒を離れて驚異に満ちた言語の世界を訪れ、旅の風景を見たときのような感動を味わい、人々が生み出した言葉の営みの深さを知るための道となることを私は願いたい。
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