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随筆・エッセイ

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エッセイ: Twitterのおもいで(5)・了

 2016年6月、福島民友新聞がひとつの記事を掲載した。  福岡を拠点とするグリーンコープの震災応援販売企画が「東北5県」となっており(東北は6県)、福島県を意図的に外した「福島外し」、つまり福島を差別している、との内容だった。この記事は、社会に大きな反響を呼び、その後の福島のイメージや、報じられ方、復興政策へも多大な影響を与えることになった。  ただ、それだけ大きな影響を与えたにもかかわらず、結論からいえば、この記事は、控えめに言って福島民友の「勇み足」、中立的に言えば「確

エッセイ:Twitterのおもいで(4)

 2018年だったか、もしかすると2019年だったかもしれない。とにかく、刑事告訴からずいぶん時間が経って、反原発活動家のことを思い出すこともなくなり、私の記憶からも消え去ろうとしていた頃だった。  私の活動を最初の時期からよく知っている友人から、不思議なダイレクトメールが舞い込んだ。「エートスの活動には〇〇さんがかかわっているんですよね?」と、とある専門家の関与を確認する内容だった。名前のあげられたその人は、私が刑事告訴した活動家が、Twitter上で事実無根の関与を言い

エッセイ:Twitterのおもいで(3)

 私の刑事告訴について、告訴対象となった側の悪行だけを書いておくのはフェアではないだろう。いわゆる自称「エートス支持者」であった人たちのことについても触れておきたい。  原発事故が起きた後、放射能の安全性をめぐって大きな論争が起きたことは、その当時成人していたならば、まだ記憶にある人も多いだろう。あらゆるメディア媒体を巻き込んで起きた論争は、原発事故の動揺が大きかった東日本では、パンデミック同様に、生活レベルでも大混乱を巻き起こした。  放射能リスクに対する危険派、安全派に

エッセイ:Twitterのおもいで(2)

 2014年、反原発活動家の女性を侮辱罪で刑事告訴した。先に、首都圏反原発連合のエートス支持表明によってデマの拡散は勢いを失った、と書いたが、燃え広がる速度が沈静化したというだけであって、いちど広がったデマは消え去らなかったし、それを信じる人も多く残されたままだった。なかでも、沖縄に在住していた反原発活動家による事実無根の発信は数年にわたってしつこく続き、その過激な発言によってフォロワー数も増やしていたため、影響も大きかった。  誹謗中傷に対する、私の態度は一貫して無視だっ

エッセイ: Twitter のおもいで

 もう正式名称が「X」に変わってしまったということなので、タイトルを「おもいで」にしても気が早い、ということにはならないだろう。  Twitterのアカウントを作ったのは、東日本大震災のちょうど1年前、2010年3月だった。(多くのトラウマサバイバーがそうであるように、私もあらゆる出来事の時間基準が東日本大震災以前と以後とで区分される。)  安東量子という名前は、その時期に考えついたものだ。今もそうだけれど、オンラインではハンドルネームを使うことが当時も主流であり、私もそ

エッセイ:Don't Follow the Wind 小泉明朗 Home Drama に寄せて

ただいまー、 ただいまー、 砂利敷の更地に置かれたモニタに向き合いながら、イヤホンから流れる音声を聞いていた。少しはにかむような、言い淀むような、ためらいがちな男性の声は、少しずつなめらかになる。  今日は寒かったね  寒かったから、豚汁がいいな すぐにこのあたりの訛りだと気づくその声は、ひとりで会話の掛け合いをしているようだ。  双葉はいいな、  お父さんはこっち住むの、  おれはできればここに住みたい、  私は不便だから向こうに住んでいるよ、 コントと呼ぶには間

【2023年頭初感】生きることを意志すること

 昨年は、年の終わりから年末にかけて大きなイベントが相次いで、バタバタとした年の終わりになりました。私にとっての原発事故からの集大成ともいえるものもいくつもあって、大きな区切りとなる年であった、と思います。2022年は、世界的にも大きな転換点となる年になりましたが、私個人の人生にとってもそうなりました。  順にご紹介していきます。 『末続アトラス 2011-2020: 原発から27lm --狭間の地域が暮らしを取り戻す戦いの記録』発刊  2012年からいわき市末続地区で

『スティーブ&ボニー 砂漠のゲンシリョクムラ・イン・アメリカ』(晶文社)12月20日発売!

 先日お知らせした2冊目の著書の発行日が決まりました。  版元の晶文社のサイトにもお知らせが出ていました。12月20日です。(税込1,980円)  昨夜、Twitterに少しふざけて、要約を自分で書いてみたのですが、あらすじとしてはまちがっていないかな、と思います。「コメディ」と言い切ると、言い過ぎかもしれないですが、それくらいの感覚で手に取ってもらっても、「だまされた!」とは思われないだろうと思ってます。  今回の目標は、楽しんで最後まで読み切れるものにする!でした。

エッセイ:変わらないことのよさへの追悼

 コロナの影響を慮って親戚以外は参列を謝絶したとはいうものの、がらんとした式場は、この街の気配を正確になぞっていた。たんに人が減った、というのではなく、生命力が薄まったというのだろうか、活力そのものが失われている。鎖国とも呼べるかもしれない地域閉鎖の影響は、2年半をかけて徐々に染み渡り、おそらく、もはや元に戻ることはないのであろう、と、晴れ晴れとした表情の親族を見ながら思った。  101歳の大往生だった。大正10年生まれだったか。生まれた時は「サムライ」だったのだと言う。羽

エッセイ:空が青い

カフェの小さなテーブルに向き合って、私たちはなにかを話していた。いつものように、話すのは彼ばかりで、私は黙って相槌をうつ。なにか尋ねたいことがあるときは、不思議そうな顔をしてみせると、だいたい彼は表情からすぐに察して、さらに詳しく説明してくれる。だから、いっそう喋る必要がなくなってしまう。 ガラス張りの窓際の席からは、パリの街角の景色がよく見える。交差点に面した、名前をいえば誰もが知っている老舗のそのカフェを、思い出深い打ち合わせの時には、彼は決まって使ってきたのだという。

エッセイ:本当の言葉

 先日参加したオンラインの集まりで、同席した若い子が言葉を探して黙りこくる場面があった。頭の中で、言葉を探しているのだろう。じっと考え込んだかと思うと、目をさまよわせながら髪をかきあげ、首を捻る。ようやく出てきた言葉は断片的で、文末までセンテンスが終わりきらないうちにまた沈黙が訪れる。その様子を見て、ああ、言語化するのはこんなに難しいことだったのだ、と半分新鮮で、そして、半分懐かしかった。思えば、いつから私はこんなに流暢に話すようになったのだろうか。(震災後だ。)  話すこ

エッセイ:冴えないハマが好きだった

 原発事故のいちばんの被害はなんだったでしょう?  そう尋ねられたときに答える内容は、遠くにいる人は、たぶん、「放射能汚染」か「風評」のどちらかではっきりと分かれ、それによって、その人のスタンスや主義主張がなんとなくわかってしまう。近くにいる人は、答えはさまざまかもしれない。私の答えは、「復興」だ。  原発事故後の個人的な経験でいえば、いいことも悪いこともあった。その収支決算は、自分の人生が終わるまではできないけれど、地域へのより広範な被害でいえば、事故そのものよりも、現

エッセイ:ユーゴスラビア幻想/作家ペーター・ハントケのこと

 電話の向こうから、低い、震えるようないつもの声が聞こえてくる。もう何年もこうして電話で話しているにもかかわらずためらいがちに、まぁ、お元気ですか。そちらはいかがですか? お変わりありませんか、と、毎回同じように尋ねる。すこし古風な日本語だ。きっと発声のしかたも私とは違うのだろう、声の響きが上品なのがうらやましい。ただ、息が細いのか、いつも囁くような音量だから、聞き取るのによく苦労する。品のある口調に不釣り合いに辛辣な言葉が混じることもある。  ええ、私は左翼小児病と言って

エッセイ:空を飛ぶ男

よくしなる弓でかたく張った細い弦をゆっくり引くような音が、夜のしじまに響く。トラツグミだ。なぜこんな夜更けに、と思うような時間にいつも鳴きはじめる。あたりがほかの物音のさざめきで満たされていたならば、鳴き声に気づくこともないのかもしれない。しばらく止んだかと思うと、また思い出したように鳴く。 *** オレ、蜃気楼だと思ったんすよ。 暑い日には、道路に水たまりみたいに蜃気楼が黒い影で見えることがよくあるんすよ。だから、その時もそう判断して、最後の追い込みに入るとこだったから、