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自意識は捨てなくていい。抱えたまま一歩ずつ進むのだ

こんにちは、ミサコです。
今回は、発信に邪魔な自意識をどう扱ったらいいのかということについて、コバタケとの会話の中で得た気づきをシェアしたいと思います。
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私たちは現在、活動や読み物をコンスタントに発信することに挑戦しているのだが、これがなかなか難しい。

私はもともと言葉を扱うのが苦手で、とにかく形にするのに時間がかかる。書いているうちに頭の中に色んな考えが浮かんでうまくまとめられないのだ。あれこれ悩んでいるうちに、考えるのが面倒になって手が止まってしまう。やっとまとまってきたところで発信後の反応を想像して二の足を踏むことも多い。

「こんなことを発信したらどう思われるだろう」「こんな当たり前の話したところで誰も読まないんじゃないか」「ほら、全然いいねつかない…あああ」なんてことが頭の中を駆け巡っている。

ちょうどそんなことをもやもや考えていたとき、「発信するときは自意識を捨てろ」といったような言葉を目にした。グサグサッと心に突き刺さる。

自意識を捨て去りたい。だけどそんな簡単に捨てられないから苦しい。自意識さえ捨てられたらどんなに楽な人生なんだろう…!

そんな想いがあったので、こばたけとのミーティングの際に「自意識を捨てられたらいいよね〜なんでも発信し続けていけば自意識は消えてくらしいよ」とこぼしたら、こばたけがこんな話をしてくれた。

自意識は捨てなくていいと思う。そんな機能的な考え方、私はできないよ。むしろ自分の持つ人間性を大切にして、自意識は受け入れて、それに葛藤して進んでいきたいね。

「なんでも発信し続けていけば自意識は消えて行く」っていうのも 、多分、発信するたびに自分の葛藤を小さく乗り越えて、発信に対する意味づけをその人自身が変えられていいるからなんじゃないかな。

少しずつ、自分ができる挑戦を積み重ねていくのは大事だと思うのよ。面白い生き方だとも思う。

それで…やっぱり、挑戦のときに自意識は捨てないし、本質的には捨てられない。捨てるとか気にしないことより苦しいと思うけど「自意識」と同居しながらちょっとずつそれを自分で扱っていけることが、ゆくゆくは気持ちも軽くさせるんじゃないかな。自意識の中で気になっていた部分が気にならなくなる、消えていくってやつ。 

なるほどなあ、捨てられないものを無理やり捨てなくてもいいのかあ。

考えすぎずに行動に移した先に見える景色もあるし、その進み方も有効な時がある。でも、自分がどんな人間か、何を大事にしているかをわかっていて、それを大切にしながら選択していけたら、それはまた素敵なことだと思った。

ちょっと理想的な状態の自分に向けて「次の私の乗り越えられる、乗り越え方ってなんだろうな」ってスモールステップを考えることが大事だと思うよ、ミサコ!

そうそう、自意識を捨てることが目的ではなく、無理せず小さなステップを超えていくことが大切なのだ。それを続けた結果として、自意識をいい塩梅に受け入れているということなのだろう。

さて、今のわたしはどんなステップが踏めるかな。なんだかワクワクしてきたぞ。

と、こんな会話を経て、まずはnote.に記事を出している。

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次回は、自意識と向き合う具体的な方法について話して記事に書いてみようと思います。

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