解離依存症 [後編]
起業家という道を経て、今は二作目の出版を目指している橋本なずなです。
寝自宅を終えたダイちゃんが、私の隣に身体を並べた。
温もりのある小ぶりなランプの電気を消して、今日は楽しかったね、なんて他愛のない会話を交えていた。
異変は、間もなくやって来た。
( 前編はこちらから )
天井を見上げていると、突然に頬を伝ったものは涙だった。
何色でもない、無色透明な自然反応によって出た涙。
「 あぁ、ごめん、涙出てきた 」
『 えっ 』
ダイちゃんの声色に少しの戸惑いが混じったことに気が付いて、すぐさま私は言葉を続けた。
「 あ、ちゃうねん、疲れすぎると涙出るねん 」
「 今日は刺激過多やったからなぁ。終始めっちゃ楽しかったんやけど、この涙は刺激の質に問わず、キャパオーバーすると出てまうんよ 」
私はベッドから身体を起こすと、精神科から処方されている頓服薬を一錠、冷えた水とともに飲み込んだ。
——— 「 私さ多分、他の人よりも人格の数が多いんやと思う 」
私は10歳の時に一度、感情を奪われている。
当時の母のパートナーによる性的虐待によって。
度重なる不幸は、私をどんどんと “この世の物” でなくさせた。
この世の物でなければ何なのか。
時には幼子の「ナズ」、時には暴力的な「ナズナちゃん」。
20歳を迎える頃には、心身を完全にすり減らしたビッチ「ナズナ」が居た。
頭を、そして心を、解離させることでこれまで生きてきた私は、日常の端々にその特徴が顕著に現れていた。
モノトーンのツイード生地のミニスカート、黒のロングブーツに、パールで飾られたイヤリングとカチューシャを付けたのは、“可愛くて女の子らしい、なずなちゃん” に仕事をさせる為だった。
けれども私の意のままに、相手が印象取ってくれるかは分からない。
そもそも相手は私に対し、どんな姿も望んではいないだろう。
そんなことは分かっている。分かっているけれど。
それでも私は着飾ることをやめられなくて、可愛くない自分を許せない。
松ちゃんの家に招いてもらった頃には、私はイヤリングもカチューシャも外していた。
ダイちゃんが運転する車の助手席で、「 可愛い女の子演じるの疲れた 」と言って。
そして、今日のどこかの移動中に、ダイちゃんとお互いのセックス観なんかについても話していた。
「 私にとってセックスは変身願望を叶える一つで… 」そんなことを言った。
変身願望。
そんな言葉がすらすらと発せられることこそが、私の長年の解離癖と、ありのままを愛してあげられない不器用さを象徴していた。
「 きっと、今日松ちゃんが私に抱いたイメージと、私が私らしいと思う自分のイメージは全然違うんよ 」
「 私を見る主観と客観には大きな溝がある、それがしんどい 」
私は無意識的に流れる涙を気にも留めず語った。
『 それを埋めるにはどうしたら良いんかな 』
「 うん、分かってるねん、その原因も解決方法も 」
それは、解離癖をやめること。
即ち、人格を複数持っているという認識を手放すこと。
しかし、私が原因と解決方法まで分かっていてもやめられておらず、未だに自分の生き方に苦しめられているにも理由がある。
それは、解離させない生き方を知らないから。
頭を、そして心を解離させたのは、自分を守る為だった。
みずみずしい感情を犠牲にしてでも、今を生き伸びる為だった。
それが生き方の癖になって、かれこれ14年。そうそう変えられやしないさ。
その末、20歳の頃には、解離性障害というれっきとした病さえ発症した。
平常時ならば、幾つ人格があろうがそれがすべて「橋本なずな」に紐づいているから良いけれど、私は他にうつ病とパニック障害を患っていた。
うつとパニックが揃うともれなく解離がはじまり、紐づけられた複数の人格がバラバラになってしまう。
そうすると怖いのは、どの人格かが、私を殺そうとする可能性があること。それが自殺願望、希死念慮だ。
そして、その本当の恐ろしさは、その間の記憶が「橋本なずな」には無いということ。
解離したから生きてこられたのに、解離しているから生きづらい。
これはもはや、依存症だ。
● 併せて読みたい ●
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