「子どもたちに民主主義を教えよう」を読んでみました。
民主的な学校の条件
↓そうして、
『なぜいま、民主主義と教育なのか』
日本人は民主主義を理解しきれていない問題。
理由は、上が絶対の文化で、対話をして調整する経験に乏しいから。
制度として民主主義なんだけど、当事者意識が薄い国民が多い。
民主主義とは仕組みだけあっても、国民が成熟していなければヒトラー政権のように間違った方向に進んでしまう、不安定で危ういもの。
と、工藤先生。
その原因は教員にあるの? 学校は色々と真逆。
私が不登校のことをやってきて、学校や教育委員会の方とやり取りする時に、すごく不思議なんですが、子どもではなく、上の人のことや自分の立場を見ているなという印象を受けることが多くて、正直気持ちの悪いコミュニケーションが生まれます。
そういう感じの人に限って
「不登校の子は人との関わりが少ないからコミュニケーション力が低い」
とかおっしゃる。
いやいや、逆じゃん。
そう言う人の、なんというコミュ力の無さよ。
自分からコミュニケーションぶった切ってるじゃん。
私が色々話す内容、個人的にはまぁいいとは思ってはくれるみたいだけど、上の人がどう指示するかによるから、自分ではどうしようもなくて、自分の立場を守るためとか、校長の立場の人なら教員を守るためとか、そういう当事者意識とはかけ離れた感じが多くて。
コミュニケーションの本質がなんだかズレてる印象を受けるのです。
学校という、子どもたちに物事を教える場でこんなことになっていることに愕然としてしまったのでした。
不登校のことも、子どもの不登校は親の自己責任で、親ならそれくらい仕方ないでしょとか、それくらいなんとかしてとか、親が学校の言うことを聞かないとか、そうとは言われなくても、結果的にそういう雰囲気で終わらせられてしまっている感じがするのです。
ということで、対話がそもそもできない。
最初は「話せば分かる」と思っていましたが、
話しても
・めんどくさい親
・モンスター
と思われているような結果にいつもなるのは、私がおかしいの??
(いや、全国的にみんなそんな状況みたい)
その原因として(学校・教育委員会的に)
ということになってしまっているから話してもどうしようもない感じになる。これは、仕方のないことなんでしょうか?
当事者意識とはかけ離れた感じが多くて悪循環すぎやしませんか?
学校復帰・・・
子どもたちは、学校に行けるものなら行きたいんよ。
でもまだまだ学校は全国的にこういう状況なのだなーと。
学校の準備が整っていない全国の現状の原因は、そういうところにあるんじゃないかな。
ちょっと今日は愚痴になりましたが。
本を読むのが難しい子ども
ちょっと話題は変わりますが、
私はそもそも本が読めない人間なのですよね。
そのことがすごく劣等感でした。
「本を読まないと、物事が分からないよ」
とか言われ続けてさ。
でもこれすごい偏見だなーと。
という訳で、本は部分部分読んでます。
ちなみに、スマホでみるSNSや記事なんかはすごく読みやすいんです。
SNSやスマホ時代が来て、読める喜びを知ったというか。
多分これは、スマホの幅と、その幅の文字数がちょうど私に読みやすいのかもしれません。
あと、オーディブルもいいですね。
何かしながら聴くと入ってきやすい。
という風に、子どもの頃はダメな自分を感じていたけど、やり方を変えれば出来るっていうのが40歳過ぎてから分かってきたのでした。
今は読書会のファシリを毎週しているのですが、子どもの頃には到底考えられなかったです。
縄文時代みたいな、本の無い世界で暮らしたいと思ってました。
という本の苦手な私は、目次を見て気になったところを読むので、読む場所がバラバラになりがちなんですね。(なので小説は読まないです。だから小説はオーディブル)
始めの部分の内容について書きましたが、後ろの方に飛びます。
保護者は学校を変えられるのか?
p191
【保護者が学校を変えたい、と思ったら】
のところ。
と、3年くらいこの3点セットを言い続けて来た訳ですが、うーん・・・
これ、学校に対して私の言い方が悪いのかなとも思ったんですが、これ、全国でこの状態。
校長の反応とか、全国共通で面白いとさえ思いました。なんか滑稽というか。不思議というか。
で、これ、工藤先生的にはどう思われるのか
とのことでした。
ですよね・・・
とのことでした。
不登校のことであれこれやっていると、学校の矛盾をすごく目の当たりにするし、それって逆じゃん、みたいなものが見えちゃうんです。
それは先生を責めたいとかではなくて、
「それやってると苦しくない?」
という感じがするのですが、これは毎日の子どもとの関わりと同じで、
こちらからは
「それっておかしくない?」「こうするといいよ」
というのはやっぱり言っちゃダメなんだろうなと。
でも、大人だから言えば分かるんじゃないかとかも思うけども。でもやっぱりそうじゃない。
ながめていると「自己矛盾が起きるフェーズ」に至った人は、ハッとされるんですよね。
その「ハッ」だけで大方伝わったっていう手ごたえがありますが、そうじゃない人は、言い訳とか回避が多いです。(ものすごくご自分を守ることに必死で、でもそれって逆に守り切れてないですよねと心配になります)
ということで
ということに着地しました。
それが私の場合はLINEのオプチャという形になりました。
そのチラシも市内の学校の先生向けに配りました。
先生方の役に立ててもらえたらいいなぁ。
自己矛盾が起こるフェーズ
子どもが不登校になって、親は強制的にそのフェーズになっていきますよね。
先生方は、不登校の子をたくさん見てこられたかもしれませんが、不登校の子を見て、話を聞いても「自己矛盾」には繋がりにくい人が多いのかも。
なんとかしようとはするし、働きかけはするけど、それができないならどうしようもないよね、で終われる。また学年も変わるし。自己矛盾に気付くフェーズまで深めにくいし、そんな暇がないだろうなぁ。だけど、そこを今ちゃんと見ていくことで、仕事でものすごく応用が効くような気が私はするんですけど。それで仕事量が減るとかもあるような。
工藤先生は
「何のためにするの?」
というのを多用されるので、不登校のことで当てはめると
などなど、本質的な答えをみんなで見つけなきゃいけないのに、そもそもそれが出来てない感じがあります。
全国的にこういうことを不登校支援として取り組んでいるから・・・
みたいなところでやっていませんか?
と思うのです。
他の自治体を参考にすることは大切ですが、今一度本質をみんなで考えてから不登校支援をしないと、多くの教員のリソースを無駄に割くような気がして、それはもったいないなと思うのです。