くさい服から得た学び
それ、他人様にはとても言えないよね。
ということを、わたしにはズケズケとそして実にあっけらかんと言ってのけるのがうちの母親だ。
5月に帰省したときはこんなことを言われた。
「あんたの服くさい」
10文字にも満たないこのひと言の衝撃たるや、かめはめ波レベルだった。
自分のにおいは自分ではなかなかわかりにくい。わたしはそれまで自分の服をくさいと感じたことがなかった。同じ洗濯機で洗濯している夫の服についても当然、くさいと思ったことはない。くさいと思っていたらとっくになんらか手を打っているだろう。
一方、実家で母に洗濯してもらったわたしの服は、明らかに柔軟剤のよい香りがしている。ためしに、スーツケースに入っている、まだ出番がまわってきていない服のにおいを嗅いでみた。
…くさっ。嗅ぎくらべてみると、たしかにくさい。なぜ今までこれをくさいと思わなかったのか不思議なレベルでくさい。これが母の言っていた生乾き臭とやらか。洗濯物を外に干せとも言われたな…。
∽∽∽
自宅に戻っても「あんたの服くさい」のひと言が忘れられず、それまで部屋干しばかりだった洗濯物をいそいそと外に干すようになった。
しかし間もなく梅雨が来て、夏のあいだは夕立も多く、また台風で雨も続いたせいで、部屋干しの頻度が増える。「今日も部屋干しか…また服がくさくなったらどうしよう」と、地味な不安を抱えて洗濯する日々。
洗濯物をたたむときにはにおいチェックが習慣化し、残念ながら服はまた徐々にくさくなっている気がした。ただ、まだ何とかなりそうなレベルだ。
酸素系漂白剤を入れて洗濯するといいらしいことがわかり、さっそく試したときには感動した。くさくない!
少し手間だが、洗濯のときには酸素系漂白剤の使用が習慣となった。ジムで汗を流したときのTシャツ、焼き鳥屋に寄ってきた夫のYシャツ…生乾き臭以外にも、においの付着した服は少なくないしな。
なるほど。習慣化というのは手間よりメリットが大きいと成功するらしい。そしてメリットはわかりやすいほどよい。たとえば筋トレもメリットは大きいが、いかんせんすぐに結果が出ない。だから挫折しやすい。
逆にいえば、手間より大きなメリットさえ感じられれば続けやすい。筋トレもダイエットも勉強も、なんらか嬉しい結果が早めに出せるか、微々たる変化でも日々実感することで、将来大きくて嬉しい結果を得られるイメージができればがんばれそうだ。
メリットと、メリットを得た自分のイメージ。
次なにか努力が必要な習慣化に取り組む際にこの仮説を検証してみたい。
くさい服ありがとう。お母さんありがとう。
今日も読んでくれてありがとうございます。
最近誰かから言われた衝撃的なひと言は、なんですか?