橋を渡れなくても落ち込む必要まったくない
わたし、石橋を叩いて壊すタイプなんですよねー
慎重な性格のたとえとして、よく聞く表現だ。
最近、ふと思った。
たかだかホモサピエンスがちょんちょんと叩いた程度で壊れる橋なら、そんなもん最初から渡るに値しないのではないか、と。
そんな橋を「ひぇーい」と渡っていけるのはきっと、マリオぐらいのものである。
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今日1日を橋にたとえるのなら、マリオの世界と違って、我々の日常において橋は逃げないし、壊れないし、なくならない。
毎日いつ何時もそこにある。
でもその橋にはユーレイがいるときもあれば、クッパがいるときもあって、スターが落ちていることもある。
しかしわたしはマリオではない。
橋を渡りたくない日もある。
渡らずに時間切れとなる日もある。
要は「サボる」という行為。
「今日は渡らないぞ!」と決め込んだ日は問題ないのだけど、渡るつもりでサボった日は「渡っときゃよかった」と後悔するし、「なぜ渡らなかったのだ」と自分を責めて落ち込む。
いやナマケモノのわたしはそんな日ばかりである。
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ここにものすごい矛盾が潜んでいたんですよ。
自分はナマケモノだといっておきながら、サボって自分を責めて落ち込んでいる。
まったくおかしな話。
なぜ、自分を責めて落ち込むのか。
…本当は自分を過信しているからだ。
100のうち1回、無敵状態でつるーんと橋を渡れてしまった経験があるものだから「やりゃあできる」と記憶されてしまっている。
たしかにやりゃあできるのかもしれんが、1%程度の確率でしか起こらないし、ホルモンバランスやら外部環境やらのせいで頻繁に確変している。上にも下にも。
都合よく自己認識を改ざんしすぎている。
わたしは「ナマケモノの皮をかぶった狼」ではない。ただのナマケモノだ。
つまり、サボりも誘惑への敗北もデフォルト設定であり、デフォルト設定をおかしいといってわめいている。
まったく、すべきことが逆である。
橋を渡りきった日に「よくやった!グッジョブ!」と褒めることだけでよいのだよ。
だってできないのが日常なのだから。
日常に落ち込みすぎていたら残基いくつあっても足りないでしょ。
「あ、今日もいつもどおりでしたね」でいいのよ。
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わかる、わかるよ。
「でも、そんな自分が嫌で努力してるんです」
「変わりたくて、工夫してるんです」
そうだよね。
ただそれって、レベル上げみたいなもんだから。
そんな一朝一夕にレベルは上がらないし、レベルが上がる要素ってだいたい「経験値」でしょ。
今日のナマケモノが寝て起きたら急にジャガーにはならないから。
ジャガーに変化するための努力や工夫という経験を積むけど、そのあいだは基本的にナマケモノだからね!
だいたい「努力は報われる」と思うからまたつらくなる。
ゲームの世界じゃ経験値が上がれば確実にレベルが上がるけど、人間界でその法則は通用しない。
過去に努力が報われた経験があるから、今度もまた報われると思ってしまう。
自己認識の改ざんアゲインです。
橋を渡れなかった今日も、渡らなかった今日も、いつかの「明日」への架け橋はずっとそこにあるのだから。ゆっくりいこう。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが最近落ち込んだことは、なんですか?