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合わない前提で自分をだいじに

断りたくないから、誘わないでほしい。
そう思ってしまうときがある。
もはや日程調整でさえ動悸がしそうになるときがある。

これらは過去の経験に起因している。

その昔、家族旅行や家族での外食を断ったときの、両親の残念そうな顔が頭に焼きついているからだ。
ただし外食に行ったとしても、自分ひとりだけえげつなく食べるのが遅いため、結局「まだ食べ終わらないの?」みたいな顔をされるし時計をチラチラみられるしで、断らなかったとしても苦しい思いをすることになる。

日程調整に関しては、会社員のころに参加していた全6回だか8回だかの勉強会で「いつもみんな、えいみさんに日程を合わせている」と言われてしまったことが原因だ。勉強会の日程は毎度ごていねいに全員で調整するスタイルだったが、いつも、明らかに、自分だけ◯✕△がズレているのはみてわかっていた。
わたしだって仕事があるなかでだいぶ譲歩して◯✕△をつけていたけれど、そのひと言によって「自分だけ予定が合わない=迷惑をかけている」と強く感じるようになってしまった。

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人それぞれ自分のペース、自分の価値観、自分のバロメーター、自分の波長で生きている。たぶん誰ひとりとして一致する人はいない。
だけどなぜか、昔から「自分だけがズレている」局面に出くわすことが多い人生を今のところ送っている。

今もまさにで、秋の行楽シーズンでお出かけのお誘いも多いものの、なぜかピンポイントでボディビルの大会とかぶっている。
そもそも「せっかく秋の行楽シーズン」かもしれないが、わたしにとってこの秋は(ボディビル以外の)行楽を返上してでもやりたいことがある。

そんなことは自分以外誰も知らないわけで、断るときも「ごめんなさい、その日は先約があります」というだけの話だ。
でも、さっき書いた経験から「わたしはわがままなのだろうか、迷惑なのだろうか」と、すごく悪いことをしている感に苛まれてならない。

断らなかったら断らなかったで自分との約束を反故にした自分をつい責めてしまう。それに一度遅れた予定を取り戻すのはなかなか難しい。だから一定の線を引かないと、自分のことが前に進まない。

そこで冒頭のように「いっそ誘わないでほしい」と思い至るわけだ。
「どこか遠くに行ってしまいたい」と思うのも「今ここから存在を消して、誰からも介入されないようにしたい」との気持ちの表れなんだろう。

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自分との約束を守るのはとても難しい。
断るのも、日程調整も、気苦労する。

だけど、みんな違う軸で生きている大前提を思い出して、自分を貫きながら、譲りながら、合わないときは「ああ、合いませんね」と淡々と消化していくだけなのだと思う。

合わないことを恐れすぎない。
自分もだいじに、みんなもだいじに。
自戒の念も込めて。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが最近「断ったこと」はなんですか?

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