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知らなかったのは私だけ?ー「PTAは任意加入の団体」で、「加入を義務付ける法的根拠はない」という事。

Wikipediaによると、PTAとは以下のように定義されるようだ。

「日本におけるPTA(ピーティーエー、英語: Parent-Teacher Association)は、各学校で組織された保護者と教職員(児童を含まない)による社会教育関係団体。児童・生徒はPTA会員ではない。皆等しく活動の支援対象でもある[1]。任意加入の団体であり、結成や加入を義務付ける法的根拠は無く、全ての児童生徒のための無償ボランティア活動というのが、本来のあり方である。」

私は長いことPTAが任意加入の団体だと知らなかった。しかも、加入を義務付ける法的根拠もないということも。知らなかったのは己の無知ゆえなので、自分に対して腹が立つ。と同時に、「だまされていた」とも感じてしまう。

PTAの組織・体制は、完全に全員加入が前提で、運営されている。それは私の小学校入学いやそれ以前から延々と受け継がれていて、現在でもこの体制が維持されている。

学校入学イコール自動加入のような流れになっていて、PTA会費なるものが担任の先生によって徴収される。加入しないなどという考えが入り込む余地などない。

でもPTAが前記の定義で示しているような「無償ボランティア活動」という名の活動だったら、私たちが受け取める意味合いは全く違っていただろうに。PTAの役員を決める日に、誰かさんのように教室の壁の色と同じスーツを着ていく必要もなかったし、わずらわしい会議に度々出向く必要もなく、働くお母さんと専業主婦のお母さんがいがみ合うこともなく、PTA会費が払えないなどという問題も起こらなかったかも知れない。

極端なことを言えば「私はやりたくない」と堂々と主張しても、後ろめたさを感じないですんだかもしれない。

他にも、このPTA問題のような問題が日本の学校教育の中にあるのではないだろうか?自分が居心地が悪いと感じたり、違和感を感じたら、きっとなんらかの問題が存在しているはずだ。でも、問題が分かったとして、それを取り除くだけのエネルギーがあるかどうかだ。岩盤のように変わらない日本の体制を崩すのは大変なことだから。ズルい私はずっと逃げてきたように思う、そんな日本と関わらないように。

他人と過度に調和して生きるのが苦痛な私は、ノーベル賞受賞者の真鍋博士が語った下記のような記事に出会った時、長い間自分が抱えてきた居心地の悪さの理由が見つかったような気分だった。私だけではないんだ、と。(博士はアメリカ国籍である。日本国籍から変更した理由を聞かれた時の回答)

日本では人々はいつも他人を邪魔しないようお互いに気遣っています。
彼らはとても調和的な関係を作っています。日本人が仲がいいのはそれが主な理由です。ほかの人のことを考え、邪魔になることをしないようにします。
日本で「はい」「いいえ」と答える形の質問があるとき、「はい」は必ずしも「はい」を意味しません。「いいえ」の可能性もあります。(会場から笑い)なぜそう言うかというと、彼らは他人の気持ちを傷つけたくないからです。だから他人を邪魔するようなことをしたくないのです。ー中略ー

アメリカでは自分のしたいようにできます。他人がどう感じるかも気にする必要がありません。実を言うと、他人を傷つけたくありませんが、同時に他人を観察したくもありません。何を考えているか解明したいとも思いません。私のような研究者にとっては、アメリカでの生活は素晴らしいです。(中略)
私は他の人と調和的に生活することができないからです


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