読書メモ(小説)『マカン・マラン』 荷物を抱えて生きている私たちへ
こんにちは!オンラインで日本語を教えているErikoです。
今日も読書メモです。初めて小説について書こうと思います。
舞台は、ある町の路地裏で夜中に不定期で開店する、
元超エリートのイケメン、今はドラァグクイーンの店主が営むお店
「マカン・マラン」
そのカフェに集まるお客さんひとりひとりの物語。
誰でも、"Third place"って必要だと思います。
(Wikipediaによると、「コミュニティにおいて、
自宅や職場とは隔離された、心地のよい第3の居場所」だそう)
でもそれは、単純に場所という「器」があるだけでもダメで。
そして人がいるだけでもだめで。
料理と同じで、中身(人)と器(場所)が揃うことで、
そこが「居場所」になるのだなと思います。
「社会人になってから、家と職場だけの往復...」というフレーズ、
よく聞きますね。
私の場合は、コロナ禍に始まったリモートワークで、
それが家だけになりました。
しかも、家族と離れて暮らす独り身には、
「家族か職場の人間関係だけ」なんてこともなく
もはやどちらも(日常的・物理的には)なくなってしまいました。
そうなってからの数年、
思えば色んな場所そして人に助けられてきました。
止まり木のような場所が私にはあります。
終わり良ければ全て良し。
寝る前に幸せな気分で眠りにつけたら、日中嫌なことがあっても、
その1日は良い一日だった、って記憶されると思っていて。
だから私は、嫌なことや悲しいことがあった時
(もちろんそうじゃない時も)
いつものバーで一息ついてから帰ることがよくあります。
それは、お店が素敵だとかお酒が美味しいとかももちろんあるけど
ひとえにマスターと他のお客さんの人柄に惹かれてのこと。
この小説でも、お店を営むシャールさんが、
本当の意味で優しい人だからこそ
皆が会いたくなってお店に集まってくるのだろうな
と思いながら読みました。
それに、「仕事」と切り離した「わたし」として接してもらえる場所
接してくれる人、は本当に貴重だ、というのも身に染みました。
2回の休職と退職についても、
マスターや仲の良い常連さんにはお話を聞いてもらっていたのですが、
みんな「まあゆっくり休みな〜」「大丈夫なんとかなるよ」
と優しい言葉をかけてくれました。
それにどれだけ救われたかわかりません。
1人で飛び続けるのは難しいので、
誰しも止まり木が必要だなって、思います。
そして、もしかしたら、日本語のレッスンも
生徒さんの「サードプレイス」になりうるものではないかな、
とも思いました。
オンラインレッスンでは、
物理的な「場所」を提供できるわけではありませんが、
仕事や家庭から少し離れて、言語や文化を通じて
新しい繋がりができる。
普段と違う自分でいられる。
短い時間でも、そういうものにも価値があるかもしれません。
最後に、印象に残った台詞を。
「誰だって、自分の荷物は自分で背負わないといけないのよ」
私の荷物は、私のもので
他の人に代わりに運んでもらうことはできない。
それは、私が他の人の荷物を代わりに運ぶこともできないということ。
ただ、その途中で、荷物を降ろして休んだり、
少し手伝ったり手伝ってもらったりしながら、
それぞれ進んでいくしかないんだな、と。
何も持たない人なんてきっといない。
荷物の中身は人それぞれだけどそれはきっと
魅力にもなるものだし、
いつか他の人の助けになるものでしょう。
大人になり、色々な人と関わって接して、人の人生に触れるたび
心からそう思います。
本の世界にサードプレイスが欲しくなった方はぜひ
『マカン・マラン』を訪れてみてください!