第132回:私たちは人生という「作品」を作っているのだと思う。 (森田碧:余命99日の僕が、死の見える君と出会った話)
こんにちは、あみのです!
今回の本は、森田碧さんのライト文芸作品『余命99日の僕が、死の見える君と出会った話』(ポプラ文庫ピュアフル)です。
森田さんの前作、『余命一年と宣告された僕が、余命半年の君と出会った話』(以下『よめぼく』)が気に入ったので、2作目となる今作も読んでみました。
(よめぼくはnoteで感想書いてます)
『よめぼく』とは違う主人公の話ですが、途中『よめぼく』で登場したであろうキャラクターが登場するシーンが何度かあったりするので、前作を読んでいると別の感動も味わえる作品じゃないかなと思います。
もちろん今作単体でも充分に楽しめます。「私たちが生きる理由とは何か」という疑問のひとつの答えと出会える物語です。
また何かの「物語」に心を救われた経験のある人には心に刺さるシーンがあるかもしれません。
あらすじ
感想
まず今作では、私たちが「生きる理由」とは何かを深く考えることができました。主人公の新太は自分と親友の寿命を知ったことによって、自分が生きている理由とは何だと思うか身の周りの人に質問します。
自分の好きなことをするため、大切な人がいるからなど様々な答えが出た中、私は和也や新太が病院で会った少女(おそらく前作の主要人物だった春奈だと思う)の答えが凄く印象に残りました。
和也は趣味の小説の執筆、少女は大好きな絵を描くことに人生をたとえます。人生は作品を作ることに似ていると考えた彼らの「答え」は、とてもわかりやすい表現だと思いました。
「自分の人生」という作品を完成させるために私たちは生きている。自分らしい作品を作り上げるために、私たちは好きなことや大切な人との時間を大切にするのだと今作を読んで感じることができました。
新太は残された時間の中で、大好きな物語に触れる時間を増やします。また和也という親友を失ったことで、大切な人と過ごす時間がどれほど尊いものだったのかを知ります。
この物語の中で起きたことだけでも新太は、いい作品を完成させるために必要な「材料」をいっぱい集めることができたと思います。
好きなことに向き合う時間。身近な人と話す時間。何気ないと思っていた日常も、もしかすると明日には失われているかもしれない。
なんとなく過ごしている時間も貴重な時間と考えて楽しく生きていけたらいいな!と思える作品でした。
また今作は「物語が持つ力」がサブテーマになっていた箇所もありました。例えば和也が想いを寄せていた唯という少女は、ある理由で生きることが嫌になってしまいましたが、和也の書いた小説に心を救われます。
小説をはじめとする「物語」ってただ面白いだけでなく、自分の知らない世界とか考えを見せてくれたり、ちょっとした言葉が誰かの人生を変えたりといった凄い力を持っているところが私は好きです。
唯のエピソードには私も共感した箇所があったし、きっと同じような経験のある今作の読者も多いのではないでしょうか。
他にも、新太が残りの時間を利用してたくさんの物語に触れる様子がよく描かれていました。今もよく読むけど、学生の頃は新太のように暇さえあれば本を読んでいたので、彼が読書に没頭する姿はなんだか以前の私を見ているようでした笑。たぶん人生で1番読書を楽しめる時間って、個人的には学生時代だと思う。
このような読書の楽しさ・物語から得られるものについて描かれた箇所も今作では印象的でした。
これからも今作をはじめ、森田さんの物語に救われる読者は増えると思います。今のところ王道な青春小説が多い森田さんの作品ですが、次回作はこのまま王道路線な作風なのか、それともまた新たな世界を見せてくれるのか今後の作風もとても楽しみな作家さんです。
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