仕事のスタイル、向き合い方 は いろいろあるように思います 上司に言われたこと、与えられた仕事をこつこつとまじめに文句も言わずにする 正義感、責任感、使命感を持って常に自分で考え、必要なら上司にも自分の考えをぶつけながら仕事をする 上司の言うことには逆らわず、まずは「はい、わかりました」と応え、それでいて実は自分の考えで仕事をして成果をあげる 常に、上司から言われたことだけをきちんとする いつも不満を言い、できるだけ自分の仕事を減らそうとするけれど、自分の仕事だけは
会話をしていると、いろいろな人がいるなと思います 私の話に、ネガティブ(否定的に)に反応してくる人 「え~ そうじゃないんじゃない!」 「そんなの ダメだよ!」 ということばで まず会話をつなごうとすることが多い人 ある意味、私(相手)の話をよく聴いて、その話の中の辻褄の合わないことや自分の考え、知識との違いをまず指摘したいのかもしれません 逆に、私の話にやたらポジティブ(肯定的)に反応する人もいます 「そうそう ワタシもそう思う!」 「それ、いいよねぇ~!」 と口にす
家の近所に好きな蕎麦屋がある というのは幸せなことだと思います それも変に気取った高級な蕎麦屋ではなく、敷居の高くないフツーの ”町のお蕎麦屋さん” があると なおさら 清潔感のあるのれんをぴしっとかけている店がいいです! 私が好きな蕎麦は、いわゆる更科という蕎麦の実の白いところだけを(蕎麦殻を除いて)曳いた粉で打った蕎麦です 細い更科蕎麦を食べると言うか、音立ててすするように食すのが好きです 関東育ちの私は 醤油が濃いめで強めでダシの香りが口の中と鼻に残る少し甘
だいぶ前になりますが、東と西を分ける、つないでいる場所 2か所に訪れたことがあります 1つめの 東と西を分け、つないでいる場所は、トルコ イスタンブールのボスポラス海峡です ボスポラス海峡の東はアジア(オリエント)、西はヨーロッパ(オクシデント)と言われています 実際にはユーラシア大陸はアジアもヨーロッパも地続きなのですが、 黒海南部のトルコ西部(イスタンブール)ではボスポラス海峡が東西を分けていて、民族、宗教、文化、価値観が異なる地域をつくっています 現在は橋が東西を
古い街並みで小さな用水があるとこころ魅かれます そこに立ち止まって 水面の変化、動きをいつまでもじっと見てしまいます 水面と書いて ” みなも ” なんてよい響きなのでしょうね? ” すいめん ” ではなく、” みなも” と読むのが私は好きです 水面は常に変化していますが、 目に見ることはできませんが 水の中の流れもでしょうね 水の中の流れや小さなうねりが水面の変化を生み出している ずっと昔からその動きは絶え間なく起きているのでしょう 人が見ていようと、見ていないかは
ふと、 今まで数にしばられて生きてきたかな? と思いました 一姫 二太郎 に始まり (私は3歳上の姉との二人きょうだい) 「20歳で知っておきたい100の一般常識」という本を読み 30才で結婚して 子どもを2人育て 家のローンを29年間 払い続けて 65歳まで働いて 日本人の男性平均寿命 81.05歳まで生きられるかな と考えています 営業の仕事では毎月 クォータ(quota)というのがありました ノルマのことですね 月に350個売ってきなさいと上司の営業所長
料理は 割と好きです 子どもの頃からよく料理していたからか、それほど苦にはなりません (ただし 皿洗い、片づけを除く ですけど) 小学生の高学年のころ母が仕事をしていて 3歳上の姉とよく留守番をしていました その頃 夕方 ふたりでテレビを観ていて、 姉 「**ちゃん(ワタシのこと) お腹空いたね?」 ワタシ 「うん、お腹空いた!」 姉 「チャーハン 食べたくない?」 いつも 10分後に台所に立って 玉ねぎ、にんじん、ハムを切ってチャーハンつくっていたのはワ
私には ネコのこころ が わかりません 毎朝 6時ころ 私の枕元に寄って来ます 彼女の柔らかな毛が私の顔にそっと触れ 気配を感じて私は目を覚まします 彼女が夜中に私を起こすことはありません と、爆睡している私は思っていますが、、、 朝、眠いので 無視してそのままにしていると、 彼女は顔を近づけてきて、小さな声で 「みゃ~」と声をかけます それでも、寝たふりをしていると、細い爪を軽くあてて私の顔をとんとんと叩きます 以前は、それでも遠慮して、蒲団やタオルケットを軽く叩いていま
今の時代 多くの人たちが 自分のキャリア を考えているようです どうも 学校で キャリア教育というのを受けてきているそうです 小学生~高校生はキャリア・パスポートなるものを持たせられているらしい(ない学生もいるらしいけど、) 自分の将来の夢 と 今 自分が勉強していることとのつながりをそれに書くらしいです 「ようです」「そうです」「らしいです」と私が書くのは、私がその当事者になったことがないからです 「**くん(ワタシ)は、将来 何になりたいのかな?」と小学校、
この1週間 あまりにも暑い日が続いたので、 昔 南インドの漁村を汗かきながら歩いたときのことを想い出しました 砂浜の照り返しが強く 40℃以上の中を2リットルのPETボトルの水を抱えてずっと飲み続けながらよたよたと歩いていました そのとき インドの人に聞いた話 暑い日は家の中で窓を閉めて静かにしているのがよい 窓を開けると外から熱風が入ってくるし、動くと身体が熱くなるから とのことでした その話に従えば、こんなところを歩いてちゃいけないんじゃないのか? と頭をよぎりま
朝 鍋の沸騰する湯の中で踊るそうめんをぼーっと見ながら 思い出していました 昨夜 話をした親しい人の話を 「オレは尊厳死をしたいんだ」とその親しい人は言いました 最近 食欲がなくなって痩せてきたそうで どうも 夏バテのような感じらしいです 「こうやって 痩せ細り 老衰で最期を迎えたい 」 家族に病院に連れて行ってもらい 診察、検査を受けたけれど、どこも悪くなかったらしく ただ 食欲がなく 今は お粥くらいしか口にできないらしいです 尊厳死を認める医師と出会えて
「好きなことが わからないから 困ってるんですよ!!」と 言い返されて、二の句が継げず黙ってしまった と前に書きましたが、 どうして、私は好きなこと・ものがかなりはっきりと言えるのか?を考えてみました 私が今 好きなこと・ものがはっきりと言えるのは、 好きではないこと・もの、 嫌いなこと・ものがかなりはっきりとわかっているからなのかなと思います それも ” 肌感で ” 私が就職して最初にした仕事は好きな仕事でした いえ、漠然と好きだと思っていた(思い込んでいた)仕事
「 **さんは、ヒトの気持ちがわからない」 と言われる人がいます 私たちは「ほかのヒトのことを ちゃんと考えて行動しなさい!」と子どものころよく言われていましたけれど、そういうことが苦手な人がいます ヒトの気持ちを平気で逆撫でるようなことを平気で言ってしまう そういう人は自分のことばかり考えている いわゆる “ 自己中な人 ” だと思われることが多い 実は、その人は想像力を働かすのが 周りの人たちよりもすこし苦手なのかもしれません 相手の気
この前 「 好きなことをすれば いいんだよ 」と言ったら、 「好きなことが わからないから 困ってるんですよ!!」と言い返されました そうか、好きなことがわからないのか…… その応えにちょっと驚きましたけど、 なるほどね 沈黙 若いころ 上司から 「おまえはダメだ! 好きな仕事だけしていて すべき仕事をしていない!」と言われたことがあります 若かった私はすぐに反発して 「そんなこと ありません、ちゃんとやるべき仕事をしてますよ!」とその時は言いましたけれど、
煮豆の中で一番好きなのは 花豆(はなまめ)です ふっくらと甘~く ちょっと塩を入れて焚いた花豆を口に含むと豊かな気持ちになれます でも、食事をする店でなかなか花豆に出会うことはありません 群馬や長野(東信)あたりに行かないとお目にかかりません 寒いところでないと実がならないそうです 意外と根性のある豆なんでしょうかね ふらっと立ち寄った道の駅あたりで真空パックのが売られていたりはしますが、やはりかちかちの乾燥させた花豆を自分で焚きたい あの紫色のまだら姿が美しい 一晩 水に
久しぶりに 森林の避暑地で過ごす心地よさの中に身を置いています ありきたりのことばで言うと、 都会の喧騒をのがれ、森林の澄んだ空気の中でストレスを発散、癒しのひととき なんですけれど、日頃 山や森林が近くにある地方で暮らす私にとっては さほど非日常感はありません それよりも、森林の中の広い土地に昔 建てられた別荘がきれい維持されていたり、これ見よがしに(庶民のひがみ?)モダンで立派な別荘が建てられているのを見ると、 やはり世の中にお金持ちの人たちはいるんだなぁ