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読書感想文「詩を考える」谷川俊太郎(思潮社・詩の森文庫)
わたしは何かを学ばなければならないと感じます。
けれど何を学べばよいのかは分かりません。
言語学や文学の大学の授業を真面目に四年間受ければよいのではないと思います。
文学の形式を学ぶことも必要でしょうが、それだけでは何にもならないと思います。
何にもとは言いすぎでしょうか。
大学の文芸コースに入ることが、ぽっと小さく灯る安心になります。
それで安心してはいけないという緊張をもたらします。
詩の世界に入っていけるのか不安に、恐ろしく、なります。芸術の世界に。文芸の世界に。
谷川俊太郎の「詩を考える」を読みました。
目次が早くも詩だと思いました。
日本語に殉じる覚悟——手帖2 14
「何ひとつ書くことはない」と書けるということ 98
つらつらとぐんぐんと長く続く文が好きで、この文がここにあることを記憶しようと思いました。
作品においては無名であることが許されると感じる私の感じかたの奥には、詩人とは自己を超えた何ものかに声をかす存在であるという、いわば媒介者としての詩人の姿が影を落としているかもしれないが、そういう考えかたが先行したのではなく、言語を扱う過程で自然にそういう状態になってきたのだということが、私の場合には言える。
この一フレーズに、詩を読んだときのような感覚を得ました。
一億の日本人の〈内語〉の重いひしめきがある。
それらを瑣末なことだと錯覚するほど、
この本の全体の重さ、深さ、遠さが、
読後長くわたしの中に満ちました。