早熟のど飴

軽蔑とほんの少しの恋しさを

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最近の記事

「エッセイ」はまならやらわ

                       「※※※※※※※」 私は、名前をつけるのが苦手だ。 センスもない。それに、一度決めたら変えられない。なんだかすごく重荷に感じる。 ゲームだとしても、自分の名前はつけたくない。 ゲームの中では違う自分を演じたい。 「はまならやらわ」 ガチャガチャとゲーム機のボタンを乱雑に打ち込む。 もうコレでいいや。 ゲームが始まり、物語が進んでいく。 「はまならやらわ」と呼ばれる度にもっと格好いい名前をつければよかった、と後悔する。

    • 我が振り直せ

      自分に厳しく、人に優しく。 そんな人間は、いるのだろうか。 自分に厳しい人間は、妥協で生きる人間にどう折り合いをつけるのか。 他人に対して甘えているとは感じないのか。 少しの妥協を受け入れて、他人は他人だと割り切ることができるのだろうか。 今日も私は人に厳しく、自分に優しい。

      • 愛に飢える孤独な人よ

        人は一生孤独である。 喜びも悲しみも完全に共有することなど出来はしない。 そんな言葉をどこかで聞いた。 確かにそうだ、人は今ある感情や思いを他人と完全に共有することは不可能だ。 しかし感情を共有することができなければ人は孤独なのだろうか。 私は「無償の愛」こそが人を孤独から救うと考える。 自分を産み育ててくれた家族、まだみぬ未来の子供達、人生の大半を側にする伴侶。まるで自分自身の一部であると錯覚するような他人が周囲にいる人は決して孤独ではないのだ。 貴方には無償の愛が注がれる

        • 人にやさしく

          ビジネス本なんて読んでたまるか。 自分の中に微かに残る子供心を殺すようで。 まるで自分から憎たらしい社会に迎合しているようで。 社会を形作るそんな歯車の一つであると認めているようで。 私は軽蔑している。いつまでも駄々をこねる自分自身を。あるべき姿を見つけることができない自分自身を。だが今は、いつか失う子供心を大切に捨てないで。

          [エッセイ]春を追う

          この世界が仮想現実だったらどうしよう。 誰もその問いを否定できない。  当時高校生だった私は本気で自身の存在の不確定さを憂いていた。誰も私の存在を証明できない。世界そのものがひどく曖昧なモノに感じてしまい、自分がこの世界に「生きている」確証が持てなくなってしまった。「思春期だから」、そんな言葉で片付けられていい問題だろうか?なぜならまだ答えは出ていないのだ。死後の世界は死んでみないと分からないではないか。誰か答えを教えてくれ。私の存在を証明してくれ。しかし不確定な世界に生

          [エッセイ]春を追う

          [詩]不適切コーヒー

          冷めると不快なホットコーヒー。氷が溶けて苦い水と化したアイスコーヒー。私はくつろぎたくてコーヒーを頼むのに、頼んだコーヒーが早く飲んでくれと私を急かす。 本を読みながらくつろぎたいのにコーヒーはこんなにも不適切だ!!でも、水とかジュースを頼めって言う人はお子様だ。不適切なコーヒーを飲みながら適切な雰囲気を味わうのが大人の適切な嗜みなのだ。それゆえに不適切コーヒーは不適切であればあるほど適切なのだ。

          [詩]不適切コーヒー

          [詩]はじめの一歩

          彼女は一歩を踏み出した。 僕は黄色い線の内側から彼女の背中を眺めていた。 勇気を持って決断しろと大人は僕によく言うけれど、果たして勇気や決断はいつも正しさを伴うのだろうか。どんな決断でも貴方が決めたことなら応援すると言うけれど、時に応援は無責任に変換されてしまう。決断や勇気が美化されるのであれば、テロやカルトは美しいはずだ。 電車が止まる、彼女は決断した。大きく一歩を踏み出して。黄色い線の内側から自分の意思で飛び立った。果たして誰が彼女を責めれようか。決断することが正しさであ

          [詩]はじめの一歩

          [詩]怠け者、世界に笑われる

          夜は一日の精算日だ。朝起きてから自分が何をしたのか、行動から得た経験や知識という報酬を布団の中で精算する。だから僕は焦るのだ。また何も得ていない!勘定が合わない!今日も自分の中にある理想が僕の怠惰な一日を叱責する。うるさい黙れ。僕は布団にくるまった。取り立てに怯える債務者のように。現実から耳を塞いで、床に就く。もう寝よう。まっさらな自分を夢に見て、明日は変わると大志を抱く。今日で何度目の後悔だろうか、外では鳥が鳴いてる、明日の私を笑うかのように。

          [詩]怠け者、世界に笑われる

          自己紹介|はじめてのnote

          誰かと話したい!友達が欲しい!とかそんな理由でnoteを始めたわけではない。しかし、どうせなら多くの人と自分の考えや体験を共有したいと思い私の苦手な「自己紹介」に挑戦してみることにする。  私は今年で22歳になる大学四年生である。何事もなければ来年には就職しているはずだ。これが創作物語ならば上記の言い方では何か問題が起きて就職できなくなるフラグが立っているだろう。実際何か問題が起きて就職できなくても私は構わないと思っている。なぜならば私の人生には強烈なエピソードや挫折の経験

          自己紹介|はじめてのnote

          銀杏BOYZを求める若者たち

          私と銀杏BOYZの出会いは大学生に入って間もない頃であった。友人がカラオケで「BABYBABY」を歌ったのが私が銀杏に出会うきっかけである。その時はなんとなく良い曲だなと思い家に帰ってからイヤホンを装着して初めて銀杏BOYZの歌を聴いた。なんじゃこりゃ!??私は雷に打たれたことがないから分からないが、まさしく私は耳に直接銀杏BOYZという爆音の雷を落とされたのだ。これが私と銀杏BOYZの出会いである。  峯田の歌が心を振るわせ、銀杏BOYZの爆音が私の心を殴って抱きしめる。暴

          銀杏BOYZを求める若者たち

          欠伸が出る、そんな毎日

           退屈な時、さほどしたくもない欠伸するようになったのはいつからだろう。「私は今この現状に満足していませんよ」と周囲にアピールするようにわざとらしく欠伸をする。仰々しく大きな口を開け、声にもならない情けない音を発しながら欠伸をするのだ。刺激のない日常が徐々に私の心を殺していく。珈琲に淹れたミルクが渦を巻いて徐々に溶け込んでいくように、「退屈」が私の体に馴染んでいく。 「退屈」とは一体何だろうか。 私は「退屈」とは精神的にも体力的にも余白がある状態であると考える。 私たちは考え

          欠伸が出る、そんな毎日