銀杏BOYZを求める若者たち
私と銀杏BOYZの出会いは大学生に入って間もない頃であった。友人がカラオケで「BABYBABY」を歌ったのが私が銀杏に出会うきっかけである。その時はなんとなく良い曲だなと思い家に帰ってからイヤホンを装着して初めて銀杏BOYZの歌を聴いた。なんじゃこりゃ!??私は雷に打たれたことがないから分からないが、まさしく私は耳に直接銀杏BOYZという爆音の雷を落とされたのだ。これが私と銀杏BOYZの出会いである。
峯田の歌が心を振るわせ、銀杏BOYZの爆音が私の心を殴って抱きしめる。暴れろ、叫べと魂に語りかける。攻撃的で狂気的、脆くてか細いのに魅力的で人間味に塗れた彼らの音楽に私は心酔していった。特に「夢で逢えたら」を初めて聴いた時は当時の私が抱いていた感情をそのまま歌ってくれている気がして、峯田は俺なんじゃないかとアホなことを考えるくらいに銀杏BOYZ、峯田和伸に惚れ込んでいった。
その後、前身バンドのGOINGSTEADYを知り過去のライブ映像を身漁った。そこには俺の知らない未知の世界が広がっていた。画面越しにも伝わるイカ臭さ、ライブに来た一人一人が峯田のように叫び、怒りながら、泣きながら、それでも笑っているように見えた。
銀杏BOYZ、GOINGSTEADYは伝説的なバンドであり、峯田は今も銀杏BOYZとして活動している。現在も多くの若者が、銀杏BOYZを峯田和伸を求めている。私はつい最近峯田和伸の弾き語りツアーに足を運んできた。そこには画面で見たよりも少し丸く優しそうな印象の峯田和伸がいた。峯田和伸は生きていた。来場者の年齢層はやはり30前半〜後半が半分ほどに感じたがそれでも半分以上が私と同い年くらいの若者たちだった。峯田は今も叫んでいた、私たちに向けて叫んでいた。私は昔の峯田を画面越しでしか知らない。ただ、彼は今も変わらず歌っていた。
いつの時代に生まれても人は怒りや鬱憤にもがき苦しんでいる。それが恋であったり、社会に対する憤りであったりと苦悩は人それぞれである。銀杏BOYZはGOINGSTEADYは峯田和伸はいつでもそんな人々の味方である。共に叫び、共に泣いて、抱きしめてくれる。彼らの音楽は未来永劫多くの若者たちに寄り添っていくのだろう。今後もし峯田和伸が音楽を辞めたとしても彼らの音楽は私たちを支える「光」として輝き続けるに違いない。