四国の人に聞いた話だ。 ________ 昔から狐や狸のたぐいは何かに化けて人を騙す。猫なぞもその内に入るが、犬や狼が化けるとは、とんと聞いたことがない。 祟るで言えば狐・猫・犬だが、狸やムジナに祟られた話も知らない。 猫や狐の化かしでは死人が出ることもある。 狸の化かしが狐ほど悪くなく、滑稽話が多いのは、人間にとってそれほど害がないのと、見た目の愛嬌も関係があるだろう。 とまれ、狸も怖い。 まだ汽車が限られた場所でしか見られなかったころ、狸が化けて現れた話がある。 山
変わった神様の話をしてくれた人がいた。 その人の生まれたところは関東の、いわゆる里山の村だそうだ。山と川と田んぼに囲まれた田舎で、雪深くもなく、他所と比べて特段変わった暮らしぶりではなかった。しかし、毎年一日だけ、特別な日があったという。 村では夏に鎮守さまのお祭りがあったが、三月の初めにも別の神様の「マツリ」の日があった。夏祭りの賑やかさとはまるで違い、その日は一日、窓や戸・雨戸を全て閉じて家に籠らなければならない。だから、その日を「オイミ」とも呼んだ。 親にはマツリの
仕事の関係で、取り壊される直前の家を見に行った。二階建て、築40年だというその家は、洋室のランプや仏間の欄間・襖絵など洒落ていて、古いけれど細部へのこだわりを感じる良いお宅だった。 母屋に隣接して「離れ」がある。母屋と離れの間隔は50cmくらいで、わざわざ離すような距離ではないが、両者を繋ぐ廊下もない。 離れは母屋よりもボロボロで小さい、縦長の八畳一間、和室だけの建物だ。母屋は青い瓦葺きだが、離れは赤いトタン葺き。乗ると沈む畳にはカビが生えていた。入り口の向かい側奥の壁は、
旅行先で聞いた話。 ________ 私が子どもの頃は、どこの街も少し行けば田畑があった。畑があれば肥溜めがある。バブルまでは普通の光景だ。 もっとも、私のころには随分と肥溜めも減っていたようで、学区に二つあるだけだったと思う。肥溜めのある道は通学路から外されていたが、放課後に悪ガキが集まって、近づいては「臭い臭い」と騒ぐのが、子ども時分の楽しみの一つでもあった。 はとこが肥溜めに落ちたのは、私が中学生のときだった。その子は私の5つ下で、9つくらいだっただろう。父方で名字
夏らしい短い話 ________ 小学校三年生のころ、一人で祖父母の家へ遊びに行ったことがある。私の家から自転車で十数分の祖父母の家は、一戸建ての平屋で、サザエさんの家にそっくりだった。 その日は何故だったか祖母が一時出かけてしまい、まだ祖父は勤めていたので、私は一人で留守番をしていた。庭に面した縁側に寝転んで怪獣の玩具を戦わせていると、縁の下から「にゃあ」という鳴き声がした。 祖父母の家の庭にはよく野良猫が遊びにきていた。祖母と一緒に煮干しをあげたこともあったので、私は
酒屋から聞いた話だ。 ________ 昔から、古い大木に出来たウロを「カンノヤ」と呼ぶ。漢字にすれば「神の家」である。どこでもそう呼ぶのかと思っていたが、そうでもないらしい。 「神の家」と呼ぶからには神のお住まいと思われるが、カンノヤからは「ブツが出る」ともいう。木が長い時を経て仏を宿し、その仏が抜けた穴がカンノヤなのだと。 カンノヤは印がつけられ、所在が記録されている。平生人の目に触れる所で新しいカンノヤが見つかることは殆どない。新しいカンノヤが見つかった日は、「山に神仏
仕事で聞いた話だ。 ________ 東京のとある神社の境内に石がある。その石は社殿の脇の地面にぽつんと置かれている。ラグビーボールより少し大きいくらいで、楕円形のつるっとした見た目だ。 神社が管理しているようには見えず、説明書きの看板や囲いもないので、普段は人に踏まれるのか、靴跡や泥が付いている。 ある時、遠方から来た人がこの石を気に入って、家に持って帰った。それから、その人の家ではガレージから火が出たり家の窓が割られたりとおかしなことが続いたので、この石の祟りだと思い、神
フリーマーケットの主催者の話だ。 ________ 昔ある女が嫁入り道具に鏡台を持参した。見合い結婚だったので、ろくに知らない家に入った心細さから、暇があればいつも鏡を眺めていた。 ある晩に鏡を見ながら髪を梳かしていると、鏡の中の自分と目が合った。目が合っただけでなく、それは話しかけてきた。 「私はお前の息子に壊される」 そこで目が覚めた。夢だったのだ。 数年後、彼女は男の子を生んだ。相変わらず鏡に執心していたが、息子も大層かわいがった。大きくなるにつれて子は活発になっていき
元公民館長さんの話だ。 ________ 今からもう25年以上前になる。いわゆる「平成の大合併」が始まり、多くの市町村が名前を消していった時期、人口減少で無くなる集落もあった。 私の出身の地区もその一つで、若い人は早くから鉄道駅のある街へ出ていってしまい、果樹の栽培をしている家が数軒と老人らが残っていた。 それでもとうとう、という時が来て、村にあったお堂の仏像は坊さんが本山へ持って行き、鎮守の社は最後の祭りをやって、それで祀り終いをした。最後の祭りの日は、村を出て行った元住民
昨今の状況から「疫病神」ついて考えることが増えた。一般的に言う「疫病神」は「厄病神」とも表記するため、病をもたらすだけの神ではなく「貧乏神」と同じ不運をもたらす神のような扱いであり、「穀潰し」と同義に使われることもある。 しかし、疫病というものが身近になった今、SNSでの妖怪「アマビエ」「アマビコ」の流行のように、近世以前の人々が流行り病を恐れ信仰に救いを見出した事実を、より現実味をもって感じられる。疫病への恐怖の経験が「疫病神」という言葉への忌避の感覚を拡張させ、口碑とし
西洋音楽史学者の皆川達夫(みながわ・たつお)氏が亡くなられた。享年92才、老衰だそうだ。 90才を過ぎても精力的に活動を続けられていたことは記憶に新しい。大往生と言える天寿を全うされたことは、昨今のコロナ禍を考えれば羨ましくもある。謹んでご冥福をお祈りいたします。 氏の専攻は中世・ルネサンス音楽であり、したがって宗教音楽の第一人者でもあった。日本の西洋音楽史研究を大きく前進させた大学者と言えるだろう。なかでも皆川氏の偉業として私が挙げたいのは、潜伏キリシタンのオラショ『ぐ
友人の話だ。 ________ 母は人一倍の怖がりで、怖い話が一切ダメだ。ところが私と父はホラーが大好きで、子どもの頃は二人でそういう映画を観に行ったり、ビデオを借りてくることもあった。 居間のテレビでVHSを観ている間、母は二階に隠れていた。家でホラーが流れている中、一人でお風呂に入るのは怖くて嫌だったという。 中学生の夏、家族でキャンプに行くことがあった。行きの車内で、某ホラー番組で見たキャンプ場の怪異の話をした。たしか主演は筧利夫だったと思う。ストーリーは「夜、テントで
民謡仲間から聞いた話だ。 ________ 宮崎県に「日向木挽唄」という民謡がある。 ヤーレー 山で子が泣く 山師の子じゃろ ほかに泣く子があるじゃなし 山師とは杣人、今の林業従事者のことだ。地方によっては後ろが「山師ゃやもめで子は持たぬ」となって、山で聞こえる泣き声の正体は分からない。これは、そんな声が聞こえても気にしちゃならんという歌だと思っている。 お国が木材の産地だったので、山の話は昔からよく聞いた。山では不思議な音が聞こえる。中でも聞こえたら気をつけなきゃならな
海の漁師から聞いた話だ。 ________ 最近はシラス漁が主な収入だが、昔は釣り船や地引網漁が盛んだった。サンマ・アジ・イカ・イワシなどがよく捕れた。 祖父の時代には網主の下での集団漁と、個人の漁とで生計を立てていた。祖父は今で言うリアリストで、妖怪やお化けの類は一切信じていなかった。あんなものは全部嘘ッパチだと言って憚らなかったのだ。有名な海坊主の正体も知っているという。 夜、篝火を燃して漁をしていたら、「ベタッ」と舳先に黒い禿頭の生き物がしがみついてきた。舟は揺れたが、
菓子屋に聞いた話だ。 ________ 戦後すぐのことだ。近畿地方の山間の集落に若い夫婦と姑が暮らしていた。夫婦は結婚から2年目に娘を、5年目に息子を授かった。 下の子が3歳になるころ、嫁は一人で家を出て行ってしまった。残された子ども達は老いた姑が育てた。 上の子は幼いうちから父の野良仕事を手伝うようになった。学校には入らなかったという。弟が小学校に入ってから、娘はおかしくなった。 畑を耕しているとミミズが出る事がある。娘はミミズを見つけると手を止めて屈んで、ジッとそれを眺め
仕事で聞いた話だ。 ________ その家は旧村の名家だった。隣村との村境近くに住したために、どちらの名主でもなかったものの、二村に跨って顔がきいたという。その家を仮にI家と呼ぶ。 ある時、I家の当主が川仕事をしていると、川上から「とぷり、とぷり」と浮きつ沈みつ、何やら黒いものが流れてくる。 不審に思い、近づき手に取ると、それは丈一尺ほどの銅の美しい阿弥陀仏立像であった。この思わぬ拾い物を奇縁と喜んだ当主は、家に持ち帰り、仏壇に置いて懇ろに祀った。 しばらくして後、村に行者