怖がりの母
友人の話だ。
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母は人一倍の怖がりで、怖い話が一切ダメだ。ところが私と父はホラーが大好きで、子どもの頃は二人でそういう映画を観に行ったり、ビデオを借りてくることもあった。
居間のテレビでVHSを観ている間、母は二階に隠れていた。家でホラーが流れている中、一人でお風呂に入るのは怖くて嫌だったという。
中学生の夏、家族でキャンプに行くことがあった。行きの車内で、某ホラー番組で見たキャンプ場の怪異の話をした。たしか主演は筧利夫だったと思う。ストーリーは「夜、テントで寝ていると足音が近づいてきて…」というベタなものだったが、母はキャーキャー言いながら耳を塞ぎ、怖がっていた。
キャンプ場についてからも母は怖がって、立てたばかりのテントの周りに塩を撒いたり、盛り塩をしたり念入りだった。
川遊びをし、カレーを作って食べたら暗くなったので、少しの間焚き火を囲んで、みんなでテントに入った。私と父は早々に寝てしまったが、母はなかなか寝付けなかったらしい。
それでも、真っ暗で何もすることがなく寝袋に入っていれば眠気はやってくる。母がやっと微睡み始めたころ、何かの気配があった。
テントは森の中に整地された砂地の上に立てていたのだが、その砂をサクッサクッと踏む、軽い音がテントの周りからする。それも一つではない。足音は複数だった。身が竦んで声を殺していると、その足音がテントに近寄ってくる。
すぐにテントの傍から、フーッフーッという荒い息遣いと、ピチャピチャと何かを舐めるような音が聞こえてきた。
母は恐ろしさに堪えきれなくなって、音を立てないように父を揺すり起こした。起こされた父は、母が泣きながら「外から音が」と小声で繰り返すのに驚いて、懐中電灯を持ってテントから飛び出した。
すると大きな生き物が数頭、びっくりしたように飛び上がって逃げていった。それは鹿だったという。
翌朝、私が起きたときに父が笑いながら教えてくれたのだが、鹿や山羊などは塩が好物なので、それを舐めにきたのだろうと。「あの時のお母さんの怖がり方は最高だった」と父が笑えば、「起こしたお父さんがテントから出て行ったときは、なにかに取り憑かれたのかと思って気絶しかけた」と、母は心外といった表情で返していた。今でも忘れない楽しいキャンプの思い出だ。
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小学生の頃から大学生まで、ほぼ毎年キャンプに行っていたが、野生動物に遭遇したことがない。一度、狐を見たと思ったら、大きめの野良猫でガッカリしたくらいだ。
キャンプ場では怪異や野生動物よりも泥棒のほうが遭遇率が高い。今流行りの「キャンプ用品を楽しむキャンプ」が、泥棒の良い収入源になっていないといいのだが。