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暗い神の家

酒屋から聞いた話だ。
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昔から、古い大木に出来たウロを「カンノヤ」と呼ぶ。漢字にすれば「神の家」である。どこでもそう呼ぶのかと思っていたが、そうでもないらしい。
「神の家」と呼ぶからには神のお住まいと思われるが、カンノヤからは「ブツが出る」ともいう。木が長い時を経て仏を宿し、その仏が抜けた穴がカンノヤなのだと。
カンノヤは印がつけられ、所在が記録されている。平生人の目に触れる所で新しいカンノヤが見つかることは殆どない。新しいカンノヤが見つかった日は、「山に神仏の出た験(しるし)」として御祝があった。直ちに坊主か神主が呼ばれ、清めの後、その木にはしめ縄が巻かれる。それから毎年、正月や祭日にはカンノヤに供え物が上がる。

カンノヤの大きさは様々だが、人が入れるほど大きいものは特別だった。一世代前の高齢者は、みな子どもの時分一度はカンノヤで一夜を過ごしたことがあった。そうするとカンノヤが悪いものを吸ってくれ、病気が治るのだと言われていた。

自分はカンノヤで過ごしたことはない。しかし、ばあさんや母から話を聞いていたので知っている。下級生には風邪でカンノヤに入れられた子もいたし、それほど縁遠い風習という感じもなかった。その子の風邪が治ったかは覚えていないが、地域の古い習慣の一つとして親しみを持っていた。

自分は婿入りで隣市へ転居し、実家の両親も亡くなったので、地元へ帰る機会も少なくなった。母親の年忌法要で地元の菩提寺に行った際、境内の木を見てカンノヤを思い出し、雑談の中で住職に聞いてみた。意外なことに、それまで笑顔だった住職はやや眉をひそめて、「こんな事を言うのもなんですが、あれは、あまり良いものではありませんよ」と言った。

聞けば、それほど歳の違わぬこの住職も婿入りで、当寺に入るとき、早く地元に馴染むために地域のことを調べたのだと。当時の年寄りに話を聞くと、大昔のカンノヤはあらゆる病を治したが、ある時から力がなくなったと言う。それは戦後になってからだ。
原因は戦争で大人の男が減って信心が薄くなったからだとか、戦争に負けて神仏の加護がなくなったとか言われたが、結局、神仏の理は人には分からぬと、自然にカンノヤのお籠りはなくなった。
ただ、若かりし住職はこれに納得できなかったらしく、何か理由があるはずだと、戦争の前後でカンノヤでやらなくなったこと、新しくやるようになったことがないか聞いて回った。

分かったのは、子捨てだ。大正の終わりから昭和の初めごろまでは、「神様に返す」と言ってカンノヤに子どもを置き去りにしていたらしい。それをなんとか聞き出した。
「カンノヤは、棄てられた赤ん坊の寿命を吸って、それを病人に分けていたのだと思います。カンノヤの木の取り分は分からないが、戦後は子捨てがなくなったので、病人に与える分が尽きて力を失ったのではないかと」

住職の話は奇妙だが理屈が通る。「毎年、頼まれてカンノヤのご供養に行きますが、正直言って気味が悪いですよ」と住職は言った。自分もそれからは古い木を見ると恐ろしく感じる。地元からも更に足が遠のいている。

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昔話では、木のウロで休んでいた人が鬼や超常の出来事に遭遇したり、ウロを通って別の世界に迷い込む。
木のウロは「樹洞」とも言い、洞窟やトンネルと同じ異界への入り口である。古い木ならば尚更そういう不思議もあるだろう。
住職たちの木を気味悪く思う心情も分かるが、そもそも自然には善も悪もなく、強い力も持つ古樹は霊木・神木と呼んで差し支えはない。
その霊木の力なのか、木を介して人から人へ命の移動が起きる。生きるはずだった年数が分けられるのか、魂あるいは生命力が分けられるのか、詳しくは分からないが、命を総量のあるものとして捉えている点が興味深かった。

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