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山彦問答

民謡仲間から聞いた話だ。
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宮崎県に「日向木挽唄」という民謡がある。

ヤーレー 山で子が泣く
山師の子じゃろ
ほかに泣く子があるじゃなし

山師とは杣人、今の林業従事者のことだ。地方によっては後ろが「山師ゃやもめで子は持たぬ」となって、山で聞こえる泣き声の正体は分からない。これは、そんな声が聞こえても気にしちゃならんという歌だと思っている。
お国が木材の産地だったので、山の話は昔からよく聞いた。山では不思議な音が聞こえる。中でも聞こえたら気をつけなきゃならないのは「人の声」だという。
山の反響を「やまびこ」とか「こだま」と言うが、山には本当に鸚鵡返しする奴がいる。話し声をそのまま真似する奴は、気味は悪いが害がない。一等危ないのは「あまんじゃく」やら「さとり」だが、そんなのは昔話でしか聞いたことがない。
国では、「やまびこ」が人の言葉を学んで「あまんじゃく」になり、「あまんじゃく」が人の考えを学んで「さとり」になると言われる。年取って賢くなっただけで、元は同じものだから全部「山彦(やまひこ)」と呼ばれている。
山に入る杣人は、山彦に言葉を覚えさせないよう、木を倒す時の他は声を出すなと教えられる。マタギ達が「山言葉」を使うのは、山彦が村に降りてきたら分かるよう、村で使わない言葉で話すのだという。
人の言葉を喋る獣に狸がいる。奴らは舌が小さいから喋りが悪い。言葉を二言三言聞いたら、すぐに狸と分かるという。その点、狐なんかは賢くて、下手だから喋らない。喋ったように"思わせる"のだと。だから酒に酔った時に狐に会うと、フワーとやられてしまう。
喋りが上手いのは猿だ。猿真似というが、奴らは若いうちはうんと練習して、年取ってから喋る。山彦は年経た古猿だという人もいた。
古猿が人に化ける時は、「人の皮を被る」とか「猿皮を脱ぐ」とか言う。集落には、猿皮を脱いだ奴を見たことがあるという年嵩の人もいた。

ある日、その人が山に入って次に伐る木を探していると、自分と同じような格好をした男が向こうからやってくる。集落に知らぬ顔はないので、別の集落の者が縁者に会いにでも来たかと気にせずにいた。すると、向こうから話しかけてくる。
「なにをしているのか」
「木に当たりをつけている」
「木に当たりをつけているのか。なぜ当たりをつける」
「次に来た時、木を伐るためだ」
「次に来た時、木を伐るのか。なぜ木を伐るのだ」
と、始終この調子で、こちらの言ったことを繰り返してから質問するおかしな男だった。
鬱陶しく思いながらも、集落の者の縁者と思っていたし、山仕事が珍しい遠方の者なのだろうと言葉少なに応えていた。
しばらく問答をするうち、男が「お前はどこに住むのか」と訊いてきた。「麓の集落だ」と言うと、「麓の集落か。そこにはどうやって行く」と訊ねる。「それは」と答えかけたところで、はたと怪しさに気づき、口を噤んだ。集落の場所を知らないのも怪しいが、初めから道を訪ねたいなら俺にくっついて長話するのはおかしい。そこで、お前はどこの者だ、と問い返した。
「わしがどこの者か。山のものだ」
「山のどこだ」
「山のどこか。山の中だ」
「家はどこだ」
「わしの家か。この山が家だ」
ここまで聞いたところで、ウワンと景色が歪んだ。次に目が覚めたら、仲間の杣人に揺すり起こされていた。
「あれが山彦なら、あまんじゃくになる前の奴だ。俺は喋りの練習相手にされたんだろう」と、その人は語っていた。
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この話に出てくるのは極めてポピュラーな妖怪なのだが、それらが同根というのは興味深い。呼び名は違っても特性の同じ妖怪が同種、あるいは関連する妖怪とされることはあるが、妖怪が知恵をつけ特性が変わるというのは聞いたことがない。知恵をつけ進歩する相手というのは怖いものだ。
一方で、この話の舞台とは地方が違うものの、山彦を山神とする文化がある。もしかすると「こだま」「あまのじゃく」「さとり」の先に「やまのかみ」があるのかもしれない。育成ゲームの進化形のようである。

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