あめいろ
存在しない『キミ』との日々を描く会話劇です。 不定期更新。
映画、小説、漫画などの感想です。
自作小説です。 不定期更新。
「突然だけど、話したいことがある」 「何?キモいんだけど」 「まだ何も話してもないのにディスられることとかあんの?」 「で、何が言いたいの?」 「驚かずに聞いてくれよ」 「はいはい」 「俺たち、終わりにしないか?」 「、、、、」 「ショックなのは分かる。俺にとっても苦渋の決断だ。だがな、俺たちも良い歳だ。お互いの人生のことを考えてだな、その、、、」 「いや待て待て」 「何だよ」 「え、何言ってんの?」 「いや、まー分かるよ。動揺する気持ちも。俺かお前、どちらかといえば、こ
タイトル通り。 何も書く気が起きない。 調べてみたら、丁度1年前の8月にも同様のタイトルの記事を書いていたようだった。毎年夏バテでもしてるのだろうか。 何かを作る気力が起きない。 どちらかというと勉強したいなぁって思い始めてる。本を読んで、のんびりと過ごしたい。 27歳にして隠居したいテンションだ。 何かを達成するとか自分にとっては、どうでも良いことだったんだろうな、と思う。 本当にやりたいことなら即行動する人間が行動していないのだから分かりやすい話だ。 今は自分の
note創作大賞に応募したくて、原作を考えているのだけども、一向に思いつかない。 くだらないことは、いくらでも頭に浮かぶのに物語に起こそうとすると手が止まる。てか文章がダサくなる。 なぜだ。 昔からお笑いとか漫画とか音楽とかクリエイティブなものが好きなのだけども、それは自分にクリエイティブ性がないからだ。 人は自分に無いものに興味を持ってしまう。 学生の頃仲の良かった人は、みんな変わっていた。今付き合ってる彼女も同様だ。 僕の周りにはセンスのある奴が多い。 彼らは光り輝
数ヶ月ぶりに県営のプールへ行ってみた。 結果としては、30分ほど泳いだだけで全身にずっしりと疲労という重荷を背負うことになり、あっさり撤退を余儀なくされた。 現在27歳。 本来なら世間的に見れば体力面で悲観的になる年齢ではないのかもしれない。 ただ、小学生の頃に水泳教室へ通い1時間弱の練習を週2回行っても、まったく苦でもなかったあの頃の自分はもういない。 いつから、こんなに体力がなくなっていたのか。 少なくとも、20代前半の頃は馬鹿みたいに走り回っても元気な身体の筈だっ
最近、文章を書こうという気持ちに中々ならない。 最初は夏バテのせいだとか、日々の忙しさのせいだとか考えていたのだけども、どうやらそうではないらしい。 7月末で仕事を退職したこともあり、8月に入ってからは体力的にも時間的にも比較的余裕のある生活を送っている。 しかし、何か自分の中にあるものを残そうといった気持ちが湧いてこない。 そんなわけで、理由を探していたら気づいたことがある。 それは自分の気持ちが満たされているということだ。 今までの自分のモチベーションは、他人に伝
自分というものを捉えることは難しい。 自分とは一生、自分では見ることは出来ないから。 スピードワゴンの小沢さんが 「キャラとは自分ではなく他人が決める」 と言っていた。 他者を通して自分を知覚すれば、自分が見えるようになるかもしれない。 この難解も少しはマシになるかな。
欲望とは凄いものだ。 何をやっても続かない人間が20年近く続けられているのだから。 自分の欲に素直に生きましょう。
物語には理想の現実を描きたい。 現実で叶わない想いだから創作する。
空が割れた。 突如、雲ひとつない青空に亀裂が入って、その亀裂の向こうには真っ黒い宇宙が広がっている。 そして、亀裂が入ったところからは空気が抜けていって、地球から空気というものが無くなっていて、やがて人類は滅んでいく。 そんな世界を想像する。 「って、そんなこと起こるわけないよな」 本田真人は、寝転んでいたベンチから起き上がり、地面に足を着いた。昼下がりの公園には、子供1人見当たらない。それもそのはずで、公園内はすべての生命体が蒸発するのではないかと思えるほど煮えたぎって
子供の頃から、他人と自分を比較する癖がある。 勉強でも運動でも、周りと比べて自分がどこにいるのかをよく考えていた。 というのも、運動会の徒競走にしろ、学校の成績にしろ、順位というもので自分を評価される機会が多くあったから。 やはり負けたくはないし でも目立ちすぎるのは怖い。 徒競走では、いつも2位を目指していた。 ただ、ドベだけは取りたくはないとも思っていたのだけども。 そんな子供でした。 その性格は大人になった今も変わらずで、やはり周りと自分を比較しては勝手に優越感に
昔はよく、自分は何がしたいのか、どう生きたいのか?と考えていた。 死ぬまでにやりたいことリストを作ったり、それを何年までにするんだとか計画したり。 今思えば、頑張って生きていた。 それが青春と呼ばれるものなのだろうけど、当時はそんな自覚はなかった。 自分は何者かになるんだという空虚な感情だけ握りしめて、社会という荒野を生き抜こうとしていた。若さとは怖いものだ。 今、26歳になり、決して大人になったとはいえないけども、昔に比べれば幾らかマシになったとは思う。子供であること
昔の自分の書いたnoteを読み返していると、自分の歴史が分かって面白い。 率直な感想としては、昔の方が今よりも真剣に現実を生きようとしていたなぁ、ということ。 今の方が、毎日いっぱいいっぱいで、人生を楽しめていないかもしれない。 学校とか辞めちゃうかw (現在、毎週末に往復4時間かけて漫画イラストの学校に通っている) 今までの僕は「続かない」と思っていたけど続ける意味がなかったのかもしれない。 そもそも幸せだから。 足りないフリをしていたのかもしれない。 すでに自分
最近、この先何をして生きていこうかなーと、ぼんやりと考える。 20代前半の頃は、死ぬ時に後悔したくないからと考えて、必死に自分が何をやりたいのか模索していたのだけど、今はそういった気持ちがない。 生涯年収がどうだとか、学歴がどうだとか、老後資金がどうだとか、歴史に名を残したいだとか、今はどうでも良くなっている。 別にそれらがなくても「なんとかやっていけるかな」と思えている自分がいるから。 大変なことは、きっとこれからも起こるだろうけど、それも楽しめばいっか、とか気楽に考え
先日、彼女に「わたしのどういうところが好き?」と聞かれたのだけども、すぐに返答ができなかった。 好きなところがないから答えることが出来なかった、とかではなく、単純に何かを好きになった体験が過去に無かったから答えが分からなかった。 子供の頃、よく周りから「好きな食べ物は?」とか「好きな教科は?」とか好きなものを聞かれることが多かった。 僕は『好き』という存在しない概念を理解するのが苦手だった。 食べ物に関して言えば、『好き』とは『美味しい』と同義なのだと思うけれど、そもそも好
うちの父親は子供の頃から、よく怒る人でした。 僕たち家族にはもちろんのこと、職場の同僚にも怒り、テレビを見ては芸人やタレントさん、日本の政治に対しても怒りを露わにしていました。 本当に偏屈な人間だと思いますし、実際にそうだと思います。 何でそんなに不満を抱けるのか。何で周りの人間に嫌われても怒り続けることが出来るのか。 僕には疑問でした。 だって、学校ではみんなでお手てを繋いで仲良くしましょう、と教わるのに、1番身近な父親が真逆のことをしているのですから、違和感しかありま
通称"このすば"と呼ばれる伝説のアニメがある。 2016年に第1期が始まったそのアニメは、アニメ界で一時代を築いたと言われる。 か、どうかはよく分からないのだけども。 そんな名作を2023年に初めて観ました。 観てみたら、もうそれはそれは面白くて。 なぜ皆の言うことを聞かず、今まで観ない選択を取ってきたのかと自分に対して軽い怒りを覚えました。 乃木坂のいくちゃんの解散ライブを生で観ずに後から映像で観たとき並みにイラつきましたよ。やっぱリアタイで追わなきゃね、面白いものは。