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2回目の転職をした

この度、2回目の転職をした。
その経緯を、覚え書きとして残しておこう。そういう話です。



はじめに転職を考えたのは、一昨年の夏。
特に大きなきっかけがあったわけではない。
ただ、20代も後半に差し掛かるいま、そろそろ一生の居場所を決めるべきかもしれないな。そんなことを思ったのだ。

今の仕事が気に入っていないわけではない。
人間関係も大きな問題はない。
でも、一生この会社で働くのか?と問われるとどうだろう。思わず首をひねってしまう。理由は2つ。

まず、在宅で働くという選択肢が現れたこと。
ここ数年で日本の企業の働き方はずいぶん変わった。押印を省略できる書類が増え、請求書や給与明細は電子への移行が進んでいる。
事務仕事だって、家でできる時代になったのだ。在宅を推奨している会社に移って、自宅で働くのも良いかもしれない。というか、それがいい。そのほうがいい。

次に、仕事はルーティン作業がいいと思うようになったこと
以前の記事で、経理職を選んだという話をした。いまも経理を続けているけれど、厳密には経理だけをやっているわけではない。
簡単に言うと、私の所属は“総務部 経理課”といったところで。経理がメインではあるけれど、総務、労務、庶務、システム保守、営業事務、そして人事。ピンチヒッターを含め、いろいろな仕事をする機会があるのだ。
そんななかで、思ったこと。
仕事はできるだけルーティン作業がいい。一人で黙々とできる仕事が好きだ。
だから、次の職種は経理だけがいい。それが結論だった。



冬が終わって春になって。新卒の教育係を担ったり 会議に参加したりとそれなりに毎日は忙しくて、充実もしていた。
30歳になるまでに転職できればいいか。そんなことを思っていたけれど、転機は意外と早く訪れることになる。

人間関係に問題が起き始めたのだ。
上とも下とも他部署とも うまくコミュニケーションが取れている気がしなくて、どうしようもなくなってしまった。
特に上層部には、期待してもらっていたものの 一体なにを期待されているのか、どう動けばその期待に応えられるのかわからなくて。
空回りもしたし、体調を崩しやすくもなった。

額面の給与は増えても手取りは変わらなくて、でも期待と責任は重くなって。私が必死に労働しても その対価ってこんなものなのか、と思い始めたのもこの頃だったと思う。



人間関係についてだけれど、嫌われていたとか 誰かと折り合いが悪かったとか、そんなことは全くない。むしろ話しかけやすく 親しみやすいと思ってもらっていたくらい。私が勝手に全部嫌になって、勝手に糸を切ってしまった。

いま思えば、立ち回りが下手だったと思う。話しかけやすく親しみやすいというのは、“なんでも聞きやすく仕事を頼みやすい ”と同義でもあるのだ。それに気がつくのが本当に遅かった。

「この仕事はあなたの部署の管轄ですよね?」といまさら突き返したところで、上司から「どうしていつもみたいに手伝ってやらないんだ」なんてお叱りを受けたりもして。もはや自分の仕事の管轄も立ち回りも、全部がわからなくなっていた。
そんな状態で部下の指導が正確にできるわけもなく、じりじりと身動きが取れなくなってしまったのだ。

そして こちらもいま思えばだけれど、そんな状態をひとりで抱えてしまって、早々に見切りをつけてしまったのも悪手だったと思う。
退職を決めたあと、他部署を含めいろんな方から声を掛けられた。
気がつけなくて申し訳なかったと謝られたりもしたし、相談してくれればと言われたりもした。

私には“職場で職場の悪口は言わない”という自分なりのルールがある。もちろん面倒ごとに巻き込まれないための防衛策なのだけれど、別に“職場の相談”はしても良かったのではないか?

私には、すぐに切り捨てる方向で動いてしまう癖があると思う。そしてこれは、よくないものだとも思う。
歩み寄りながら、周囲に助けを求めながら、改善策を探していくことだってできたのではないだろうか?

なんて そんなことを言ってはみたものの、いまのところ 何回シュミレーションをしなおしても、絶対に“退職”にたどり着くのだけれど。



その後、会社には年内退職の意向を示し、年始からは別の会社で働いている。

再び経理職を選ぶ予定だったけれど、昨年10月に始まったインボイス業務の煩雑さに嫌気がさして手を引いた。
それなら、経理以外の 一人で黙々とできるルーティンの仕事を探そう。そう思って求人を見ていたものの、それもなんだか自分の本音とは違うような気がしてきて。

突発的な業務が頻繁に入り、そのたびに業務の優先順位を考えて組み直す。
従業員の人たちとコミュニケーションを取りながら慌ただしく業務を進める。
たぶん私はそんな仕事が、嫌だと思いながらも好きだったんだと思う。
嫌と好きって両立するのだろうか。もしかしたら ただの情や意地だったかもしれない。



さて。だらだらと書いたけれど、退職を選んだことに後悔は全くしていない。

あれが当時の私の限界で、私の最善だったと思う。

次は、限界がもう少し遠ければいいな。最善がもう少し洗練されたらいいな。
そんなことをぼんやりと願うばかりだ。

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