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【童話風小説】剛力少女と永遠の砂
昔々のお話です。
いつかの時代の、どこかの国。
あるところに、とても力の強い女の子がいました。
掴むものみなぼっきり折れ、ちょっと手をつけば分厚い板も木っ端微塵。暴れ牛だって片手でひょい。
気立は優しくおとなしい子でしたが、いかんせん力が強すぎる。可愛い一人娘です。最初はどうにか力を抑えようとした両親も、彼女が7歳になった年にこれは手に負えぬと諦めて、少女を置いてすたこら村を出ていってしまいました。
かわいそうな小さな子。愛すべき家族も、得られるはずの愛もありません。
人と違う自分を責め、同じようにできないことを嘆きました。
しかし天与の資質は残酷です。あまりに頑丈なせいか、悲しみに暮れ家族で住んでいた家の裏にある崖から飛び降りても、なんと擦り傷一つつかなかったのです。自分の心臓に剣を突き立ててみる勇気もない。そんな状況でもお腹は空く。生とはなんて憎らしいのでしょう。
彼女の力を畏れつつも同情した近所の家々の雑用を手伝いながら、それでも健気に細々と生活していく術を身につけていきました。
*
時は流れて、少女は元気に年頃の乙女へと成長しました。
周りの女の子たちは年相応に色恋沙汰に夢中ですが、少女には縁がありません。興味がないのではなく、縁がないのが哀れなところ。しかし町の男性どころか、馬牛家畜にすら恐れられる剛力です。一度1人の男が花輪を渡しにきてくれましたが、照れてそのまま握りしめ、折角の花を全部ダメにしてしまいました。尋常ならざる握力を間近で披露したせいで、それ以降周囲からは一層恐れられることになったのです。
そしてどうにでもなれとその翌年のこと。賞金欲しさに村の強者を決める剣闘士の催しに出場しました。男性の出場者は全員彼女のデコピンで撃沈。さらに出し物のクマは一睨みで萎縮。圧倒的な力を示し、次の年からは催しに出禁となってしまったのです。
もう何の用もなく彼女に近づく人はいませんでした。
普段は村の雑務を引き受けて暮らしています。
あの塀を壊してほしい。大量の木材を運んでほしい。馬が暴れて手がつけられないから助けてくれ。食事と金貨のために、彼女はどんなことも引き受けました。
それでも村人たちが少女を恐れている気持ちは伝わってくるのです。
来る依頼はどれも、運んでくれ、折ってくれ。壊してくれ。
せめて仕事をくれた人を怖がらせないように、笑顔だけは貼り付けて少女はにこにこ愛想よく小麦を運びました。
そんな日々を過ごしていた時。
突進を止めた暴れ牛の主人から引き攣った笑顔と数枚の金貨をもらった後、少女は急に喪失感に襲われました。主人の足元に隠れてこちらを見上げていた小さな子供。家の窓から心配そうに覗いていた、3人目を妊娠中だと噂で聞いたその母親。
今までどうとも思わなかったのに、疲れていたのでしょうか。心がドッと冷たく黒い水の中に沈み込みます。
ふらふら森を彷徨って、適当な木を素手で倒しその丸太に腰掛けると、もらったばかりの金貨がポケットの中でチャリンと虚しく音を立てました。
何を考えても無駄なこと。
彼女に家族はもういないのです。
どれだけ悲しくともそれが事実。そしてその孤独は少女自身に理由があるのだから仕方ありません。
ため息が漏れそうになるのを唇を噛んで耐えます。
耐えていると、視界が歪んできました。
誰もいないなら泣いてもと心が挫けそうになりますが、慰めてくれる人もいないのならと今まで一人で生きてきた意地がぶつかり合います。
ぎゅうと小さな拳を膝の上で作った時、唐突に声が降って来ました。
「すみません、お嬢さん。この辺に宿はありますか?」
驚いて顔を上げると、目の前には痩身の男性が立っている。いつの間に来たのでしょうか。全く気づかなかったことに驚愕すると共に、男の風貌にギョッとします。
痩身。高身長。黒髪に、身なりはよれよれの衣服を身につけていましたが、それよりも気になるのは肌。わずかに覗くその色は、朝咲の百合よりも白いではありませんか。そしてわずかにと表現するしかないのは、彼が全身に包帯を巻き付けていたからです。五分袖から覗く腕にも、無造作にぐるぐると巻かれています。
「あの……?」
少女が聴こえていないと思ったのか、男はそう言いつつ一歩前へと踏み出しました。
いくら力が異常に強いとはいえ、少女にだって恐怖心はあります。見知らぬ怪しい男が急に近くにいたのです。その恐怖はいかばかりでしょう。
思わず腕を勢いよく前に突き出しました。
屈んだ男を彼女の伸ばされた腕が押し返した、その瞬間。
少女の腕は男の胸を突き抜けたのです。
ざらりとした感触に、僅かに歪められた男の顔。
それは痛みではなく、悲しみに対してのようでした。
*
人を、殺してしまった――。
大きな衝撃が少女を貫きます。
今まで、こんな力を持っていたからこそ、細心の注意を払って人と接触していたのに。急に前にいたから、本当に驚いてなんの加減もせずに突き飛ばそうとしてしまった。自分の力を疎んでいる少女にとって、あまりに残酷な結果でした。
狼狽えつつも目の前の男性に駆け寄ります。
しっかりと胸を貫いた感覚が、少女の手から消えません。嫌な汗が身体中から噴き出てきて、さっきとは別の涙が溢れそう。
しかしどういうことでしょうか。
腕で胸部を貫かれたはずの男は、血を流すことなく、その場に立っているではありませんか。そのことに驚きますが、とにかく無事を確認します。
「ごめんなさい! ぼんやりしていたから急に話しかけられて驚いてしまって……。お怪我はありませんか?」
そう言いつつ駆け寄ると、男はなぜかぽかんと呆けた顔をしました。
不思議に思って首を傾げます。慌てて返事が返って来ました。
「大丈夫です。こちらこそ、女性に突然声をかけてしまってすみませんでした。怪我なんてありませんから、どうか、近づかないでください……」
どうやら怪我はないようです。大きな安堵が波のように押し寄せます。
よかった。本当によかった。胸を貫いて殺してしまったかと思ったのですから。
しかし、それと同時に怪訝に思います。
確かに胸を押したのです。手応えはありました。少女本人が殺してしまったと思ったのだから。
しかし男は死んでいません。
その事実に、心の底からどくどくと熱い血が湧き出てくるようでした。
少女の怪力を前に、怪我をしない人間がいるなんて。
もっと男のことを知りたい。そう思って一歩前に出ると、もう一度拒絶されました。
何かを恐れるような態度。
その正体を、少女は知っています。
「……わたし、人よりも力が強くて。本当に痛いところはないですか?」
そう言うと、意を決してもう一本木を引き抜いて少女が座っていた向かい側に倒しました。
大きな賭けでした。
秘密を明かして男の警戒を解くという、一歩間違えれば立ち直れないくらい傷つくかもしれない大勝負でした。
そして、予想通り男は少女を恐れませんでした。しばらく倒した大木と少女を見つめた後、折りたての木に腰をかけたのです。
ぽつりぽつりとどちらともなく紡がれる過去。
少女は、男に自分の力を語りました。
男も少女に告白しました。
男は砂男だと言います。体が砂でできている異形の生き物。
そのおかげで死ぬことがないらしいのです。剣で刺されようが、高い場所から落ちようが、砂は崩れてもまた体を形作る。
さっきも、胸を貫いたのは事実でした。しかしそんなことは砂男にとってはなんの痛手にもなりません。
少女があけた穴は、すぐにザラザラと砂が戻って塞がれていたのです。
崩れないように包帯で身体中巻き付けているし、水に濡れたら溶けてしまうけれど、物理的な攻撃は効かないのです。
……そう。砂男の前では、少女はただの少女なのでした。
自分の力を恐れない人に少女は初めて会ったのです。高揚するのは当然のことでしょう。
そしてそれは砂男も同様でした。
不死不滅。長い間、彼も人々から恐れられて生きてきました。音楽を奏でわずかな金銭をもらい、村や町を転々としていたのです。
己の風貌や体を恐れない存在は初めてでした。
人々から疎まれ、輪から弾き出されていた2人が惹かれ合うのは必然だったのかもしれません。
砂男はちょうど少女の住む村に訪れたところでした。一つ前に置いてもらっていた村を追い出されて困っていたのです。その話を聞いて、少女は自分の家を使うように言いました。
最初は若い女性が1人住む家に留まることを拒否した砂男でしたが、日が沈みそうになった頃には折れて承諾しました。今までは宿屋に泊まってもよくて馬小屋、軒先のすみなんてことも珍しくなかったのです。かつて少女の両親が住んでいた部屋をと提案され、申し訳ないと思いながらも夢のような心地になります。
こうして少女の家には久しぶりに明かりが灯りました。今まではひとりでいたために、大きな明かりは必要なかったのです。
1人ではない。家に自分ではない誰かがいるというのは、なんて暖かいことなのでしょうか。知り合ってすぐとは思えないほど、2人は打ち解けました。
暖炉の前。砂男のヴァイオリンが奏でる音楽に、少女はつい微睡みます。哀愁と優しさの滲んだ音でした。
誰かを傷けることも、誰かに傷つけられることもない、誰かがいる生活。
すぐに出ていくつもりだった砂男も、あまりの心地よさに足が重くなってしまいました。2人の間で、穏やかな時間と空気が流れます。少女は変わらず近隣の家家の手伝いをし、砂男は道で音楽を奏でます。
あかりの灯る家は、2人の支えとなりました。いつしかお互いがかけがえのない存在となっていたのです。
親のように、兄妹のように。――家族のように。
その感情には名前はまだありません。
恋というには穏やかすぎ、愛というには深すぎたのです。
しかしそんな生活に、不穏な影がかかります。
若い女の家に、入り浸る異形の旅人。もともと少女のことを快く思っていない村人も少なくありませんでした。悪い噂が広がるのはあっという間。どんどん村の人からの態度は悪くなっていきました。
そしてさらに悪いことが重なります。
昔少女に花輪を渡した男。その男が、砂男に嫉妬したのです。
自分が少女の力を恐れただけ。それなのに砂男が自分の女を誑かしたなどと妄想を繰り広げ、良からぬ計画を拡大させました。
どこから仕入れた情報か。
男は『あの気持ちが悪い風貌の男は水を恐れている』という噂を手に入れました。事実かは知らないが、町の中で水をかければ少しは溜飲が下がるというもの。ニヤニヤ顔で井戸から水を汲んできます。
とある晴天の日の正午。
男は広場で音楽を奏でていた砂男に、桶いっぱいの水を頭からかけました。
流れるように崩れた砂男の体。
水分を得た砂は歪に固まり、いつものようにサラサラと再び男の体に戻ることはありません。想像を絶する光景でした。水をかけた張本人は叫び声をあげて桶を砂男に投げつけ、情けなくも足をもつれさせながら走り去ります。
桶は頭部分に当たり、辛うじて人の姿をとっていた砂の塊は砕け散りました。
広場にいた村人も走り出します。逃げ惑う人々は、異形がついに正体を表したことに悲鳴をあげます。
ただひとり。ちょうど小麦を運んで広場にきていた少女だけが、砂男が溶け流れたことに対して絶叫しました。
急いで駆け寄りますが、大丈夫だよといういつもの声は聞こえません。少女の剛力を笑って受けとめていた砂男は、石畳に流れ、人々に踏まれ、もうあの形は取らないのです。
びしょ濡れの衣服だけがその場に残っていました。
家族が自分を置いて村を出ていった時も、一人で過ごした嵐の夜も。寂しさと恐怖に耐え泣かなかった少女は、その時初めて声をあげて泣きました。
もがくように服をかき集め、家に戻っても明かりは消えたまま。その家の中は、どんなに厳しい冬の夜よりも寒く感じました。
ドアも閉めずに家を出ます。
砂男は目の前で砕けたのです。しかし、いないとわかっていても探さずにはいられません。名前を呼んで探し続けました。
初めて会った森の中を、泣きながら彷徨います。
明かりも、暖かさも、優しい音も。全てがない生活。慣れていたはずでした。知る前ならば耐えることができたのに、少女はもう砂男と会う前に戻ることはできません。またひとりでいるくらいならと、森の動物に襲われることを望んで森を歩き続けました。
遠く、遠く、誰もいないところまで。
もう死んでしまいたい。しかしオオカミもクマも少女がちょっと小突いただけで逃げていくのです。
歩き続け、迷い続け、太陽が何周したかも忘れた頃。砂男の服を抱きしめたまま、ついに少女は地面に倒れ込みました。
くるくると旋風が吹き上げる開けた場所。
青い花の咲く、綺麗な泉のある夢のような森の奥。
小さな花片が少女の頬をくすぐります。
この美しい場所を、あの人と一緒に見たかった。
枯れたはずの涙がまた込み上げてきました。どれだけ涙を流しても、この悲しみは癒えません。その時、旋風が一層強く吹きました。
その風はざあざあと灰色の嵐を起こしながら、少女の方へと近づいてきています。驚いて体を起こすと、嵐の中心に何か……誰かがいるように見えるではありませんか。
よくよく目を凝らします。どんどん近づくそれは、次第に鮮明に形造り、最後には砂男の姿になりました。
信じられない気持ちと、言い知れない喜びが体から溢れます。さっきまで流していた涙とは違う、暖かい雫が緑色の目からこぼれ落ちました。
しかし我に帰ると、現れた砂男は何も着ていないことに気がつきました。慌てて顔を逸らしつつ持っていた服を突き出します。
雑に渡されたそれを申し訳なさそうに受け取り、眉を下げて砂男が声を出します。初めてみる素顔でした。
「……雨降って地固まるって言うでしょう」
「こんな時にまでふざけないで……っ」
このひょうきんな物言い。間違いなく砂男です。耐えきれず、さっきまで恥ずかしがっていたのも忘れて少女は砂男に抱きつきました。砂男は出来立ての体で受け止めます。肩が濡れて崩れてきましたが、そんな暖かく湿った崩壊すら愛おしいと思うのです。
花が揺れています。風が甘く吹く中で、2人は静かにお互いを抱きしめました。
*
そうして少女は生まれ育った村を出ました。もちろん砂男も一緒です。
どこかの国のとある片隅。赤い屋根の小さな家には、暖かい灯火と穏やかな音楽が絶えませんでした。
2人は、かつて少女だった女性がその生を全うするまでずっと共にいました。
永遠のお別れの後、砂男は彼女が眠る場所で涙を流し、その雫に溶けていったといいます。
後には柔らかい砂だけが残りました。
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