「県境思考」「県境マインド」ってあると思う
県境や市境など、辺境(失礼)に位置する地域って、それはそれで独特の文化圏や中立的なカルチャーが形成されていてイイね!
そんな話を、多拠点生活・移住者目線で綴ってみます。
以前もこのブログで似たような話をしましたが、別の視点で改めて。
ちなみに、以前のブログ記事はこちらです↓
1.三ヶ日町で感じたリアル
僕は静岡県浜松市で事業を展開し、浜松市内でもいわゆる街と呼ばれる都市部と、奥浜名湖沿いの三ヶ日町(みっかびちょう)と呼ばれる地域にもオフィスを構え、多拠点で活動をしています。
でもって最近、三ヶ日が僕にとってたいへん居心地が良い。
それはなぜかと問われたら、その一つに「県境地域」だからと答えます。
僕がオフィスの一つを構えている三ヶ日町は、湖西市、豊橋市、新城市と、県内他市や他県(愛知県)他市と隣接している県境の町です。何も意識しなくても、気がつくと県境越えています。
僕も事業活動や日常生活をしていても、フツウにこれらの市に越境しています。
勢い余って(?)、最近は豊橋市で新たな経営者コミュニティ『あいしずHR』も地域の仲間とともに立ち上げました。その様子は後日あらためて書こうと思います。
三ヶ日では、豊橋など愛知県ナンバーのクルマも頻繁に見かけます。県境でエリアを分けるのがいかにナンセンスか、ここで生活しているとほんとうに良く分かります。
さらに、三ヶ日町には古くからの別荘地やリゾート地もあり、都内、神奈川県内、東海や関西エリアなどのナンバーのクルマも日常的に出入りしている。多様性に寛容なエリアだと実感しています。
さりとて、賑やかかというと決してそうではなく、少なくとも僕が活動をしているエリアはいわゆるパリピな人たちがワチャワチャと騒ぎ散らかしたりしない。そこに個人的な居心地の良さを感じるのです。
(僕、パリピ文化めっちゃ苦手……)
2.地方都市の中心部の「濃ゆい」文化は正直苦手
僕は浜松出身ではありません。
神奈川県の出身で、社会人デビューしてからずっと東京ベースで仕事をしていましたが、サラリーマン卒業後、静岡県西部での仕事が増えてきたのもあり、いまでは浜松を拠点に事業を展開しています。
(とはいえ仕事の8割はリモートワークで東京の大企業向けです。そういうマーケットで仕事していますし、正直それが事業を成り立たせるため、稼ぐために最も効率が良い)
浜松は好きな土地なのですが、街中の空気は正直どうも馴染めない。なんていうか馴染むハードルが高い。
(とくにGWなどの大型連休は、その馴染めなさを強く認識してしまう)
浜松以外の地方都市にも当てはまるかもしれませんが、街中は地域ネイティブ成分が凝縮されすぎている感じがする。他都市から来た人なおかつ僕のように別にその地域にどっぷり染まりたいと思っている訳ではない人にとっては、土着のカルチャーは重たすぎるというか窮屈に感じてしまうのです。
別に地方都市云々ではなく、東京23区内に常駐していた当時も「地域のお祭りの御輿の担ぎ手がいないからやらないか?」と知人から何度も誘われましたが、「キャラじゃないから」と笑顔で断りました。なんていうか、やっぱり僕そういうキャラじゃないんです。ごめんなさい。
もちろん、その土地のカルチャーを否定している訳ではなく、地元愛の強い人たちで大切に育めば良い。そういうものだと思っています。お互い自由でいましょう。
僕が事業拠点や生活拠点に求めるものは、概ね以下の3つです。
端的に、「仕事とリフレッシュに全集中できればそれでよい」のです。
少なくとも、いまこの瞬間の自分のライフステージや価値観においては。
(仕事も8割が東京の大企業相手ですから、無理して地域カルチャーにどっぷり浸かる必要性もビジネスモデル上はない。とはいえ東京のような大都市の、「人混みに耐えろ」な同調圧力も僕には無理……)
そんな都合の良い土地があるわけない……と僕もそう思っていました。
ところが、探せば意外とあるものなんですね。少なくとも、県境の町、三ヶ日町の僕がいるエリアにはそれを日々感じています。
人混みからも自由でいられ、かつ日頃から他都市との動流がある県境の土地。変な同調圧力を感じることもなく、浜松にありながら、湖西にも豊橋にも新城にも豊川にもなれる土地。そういう中立国的な土地は、僕のような人間にとっては大変居心地が良いのです。まあ、三ヶ日町自体がもともと浜松市ではないですし。その意味でも、アウェイなカルチャーなのかもしれません。そして、アウェイ最高!
もちろん、人によって多拠点生活や移住に求めるものは異なります。
その地域のコミュニティにどっぷり浸かり、地元の人たちとともに地域を創っていく。そこに喜びや生き甲斐を感じる人は、そういう土地を選べばよいでしょう。
しかし、僕はそうではない。
その意味でもここは心地が良い。
すれ違った人たちと爽やかに挨拶はかわすが、押し付け合わない関係性。
そんな透明感のあるカルチャーが、僕は好きです。
きっと「カルチャーは都会、自然環境は地方」が僕にとってのベストなのでしょう。
そういえば僕、昔からわりと他校の生徒や他部署の人たちとのほうが仲良くなるタイプでした。
3.ひょっとして、自分が辺境の町出身だからかも
なぜ、自分がそういう趣向なのかふと考えてみました。
それは、自分自身が市境の町で育ったからかもしれません。
僕は神奈川県横浜市の出身です。横浜といっても、みなとみらいや中華街のようなキラキラしたあの横浜ではなく、金沢区という辺境のわりと地方都市です。「放課や週末のもっぱらの消費先は、地元のユニー(いまはアピタ)」と言えば、なんとなく雰囲気をお察しいただけるのではないかと思います。そんな土地です。
修学旅行先で他県の人たちから「兼六園、いいところよね」と言われ「ありがとうございます(でも、その金沢じゃないんです)!」と元気に返す、そんな土地の出です。最近は開発も進んできたようですが、少なくとも僕が子どものころは他区の友達から田舎モノ扱いされていました。
横浜金沢エリアは県境ではないものの、市境です。僕が住んでいた町も、自転車で10分~20分も走れば別の市。子どもの頃から、日常的に逗子市、横須賀市、鎌倉市などの隣接する市に買い物や遊びにいったりしていました。特に、市の境を意識することもなく、ごくごく当たり前に。そういえば、越境通学しているクラスメイトもいましたね。
そしてそういう辺境の都市は、中心部とは違う独特のカルチャーを形成するのですね。どちらかというと、横浜の中心部にコンプレックスもあったり、なおかつ日頃から他市と越境しているので、むしろそっちに対して地域プライドを持ったりする。
(正直、横浜の中心部のことをあれこれ聞かれても僕は全く答えられません(苦笑)。むしろ逗子や横須賀や鎌倉のほうが詳しいです。だもんで、僕は「神奈川県出身」「三浦半島出身」と言うようにしています。「横浜出身」なんて言うと、スカしたヤツだと思われるのも心外なのですが、それよりも横浜の市街地に詳しいと思われるのが面倒(というか誤解を与える)なので)
そのメンタリティーは、もしかしたら自分自身が市境の町で育ったからなのかもしれないな。なんとなく、そう思いました。
でもって、そんな土地にこだわらないメンタリティーだから、出ていってしまったけれども(苦笑)
4.「県境思考」「県境マインド」の可能性
同様の居心地の良さは、僕が社会人1年目~3年目の頃、スウェーデンの国境都市 マルメ(Malmo)で過ごした時もそういえば感じたかもしれません。
コペンハーゲン(デンマーク)と海峡を挟んで隣接しており、当時はフェリーで、いまではトンネルと橋を渡って鉄道やクルマでコペンハーゲンと行き来することができます。日常的にデンマークの人たちとの交流がある。そんなスウェーデンの小さな都市で、居心地よく仕事をしたことを思い出します。
移民も多く、日本人の僕も肩身の狭い思いをすることはなかったです。
「県境思考」「県境マインド」
もしかしたら、そんな固有なカルチャーやメンタリティーが存在するのではないか。市境も含め、文化を分け隔てる境目の土地はともすれば中立的な立ち位置になりやすく、同調圧力から自由でいられ、クリエイティブな行動が促進されるのではないか。
個人的にも県境エリアや辺境地域のカルチャーがもたらす可能性に目を向けていきたい。そんなことをふと思った、5月の連休明けです。