自分の内側の動線も見直したい
断捨離でよりスムーズに
断捨離を続けている。
続けているから、アクションを起こす時はプチ断捨離。
ちょっとしたスキマ時間を使って、気になる箇所だけささっと見直す。
先日は早朝に目が覚めて、ふと思い立ってプチ断捨離決行。
そうしたら…
なんと、体の動きが急にスムーズになった。
不要なモノを捨てると決めたらスペースが空いたので、物の配置を変えた。
そうしたら、ほぼ無意識でやっているようないつもの動きが早くなったのだ。
早くなったというのは、決して素早くなったというわけではない。
ひとつの動きから次の動きまで、距離が近くなったために、結果的に時間がかからなくなったのだ。
早くなったのは、きっと数秒、いや数秒もないかもしれない。
でも、体感としてかなり身軽さを感じた。
動線が変わるってこんなに違うんだ!
ちょっと驚いた。
内側の動線もスッキリするかも?
たったひとつのものがいるかいらないか、を吟味しただけ。
結果的に、スペースが空いて、物の住所が入れ替わった。そうしたら、そのスペースを行き来するときの動線が変わった。
それだけのことの効果の凄さを体感したとき、ふと思ったこと。
それは、私の内側の状況も同じかもしれない、ということ。
最近の私。
断捨離をするたび、
目の前の風景が変わるたび、
自分の内側の景色も変えたい、変わっていくんだ、という思いに辿り着く。
先日の早朝のプチ断捨離のときもまた、
同じような思いに辿り着いた。
私の中にあるものの吟味がもっとできたら…
日頃あれこれ思いを巡らせるときの動き、動線も変わるのでは?
まだまだ、いろんな荷物が私の中に残されている。
不要な荷物。
背負わされてきた荷物。
それが私がもっと真っ直ぐにスムーズに前に進みたいと思うときの障害になっている。それがどこかでわかっている。
だから、動線が変わるのでは?なんて、疑問符をつけてみたけれど…
変わるのは間違いないのだ。
経験だけを手元に置く
私はずいぶん色んなことを体験してようやく納得しながらここまできた。
側から見れば、いわゆる遠回り人生って言うのかもしれない。
遠回りかもしれないけれど、納得したことの数はかなり多い。
道具ひとつとっても、一度実際に自分で扱ってみないとその良し悪しや価値がわからないように、遠回りしてでも実際に経験したからこそ、経験して納得したからこそ、本当に必要なもの、手元に置いておきたいものがわかるのも確か。
だから、経験したって思ったら、経験だけを手元に置く。
あとは手放すのがいい。
このせいで嫌な思いをしたんだ!という怒りとか、これをゲットするために頑張ってきたんだ!という執着心そのものをずっと手元に置いておくと、それは自分の内側の荷物になる。
いや、荷物以上。お荷物になる。
お荷物の存在が、その先に進もうとする自分の中にあるもっと純粋な思いのスムーズな動きを妨げるのだ。
お荷物ひとつひとつ手放していくたび、視界が開けて、動線もスムーズになる。
自分にとって本当に大切な思いへのアクセスがはやくなる。
自分の内側のプチ断捨離。
これからも続けたい。自分の理想の風景が内側にも広がるまで。