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自分をまとう言葉を紡ぐ
言語表現というスキル
これまで私はなにかと緊張しやすかったり、大勢の人と一緒にいるのがきつくなったりすることが多かった。
それは、単になにかと過敏なところがあったりするから、深く捉え過ぎるから(最近はHSPという)、かと思っていた。
確かにそういう一面はある。
でも、どうやらそれだけでもないみたいだ。
なにかを強く感じたとき、その感じた自分をうまく表現する術を十分持ち合わせていないからかも。
そう思うようになってきた。
生きていく上でのスキルって色々あって、人間にとって、言語表現というのは中でも最強のスキルとなりうる。
アウトプットを積み重ねる。主に言語表現という形で、だ。
すると、少し楽になってくるのを実感する一方で、まだまだ表現しきれていない部分がたくさんあることにも気付かされる。
もっとうまく表現したいのに…という思いだけが先走りして、やっぱり自分の中のどこかに緊張が走るというループに陥ることになる。
言語という檻
今思えば、特に言語による表現に対する苦手意識が強かったのは、ひとたび言葉を発すると、それに閉じ込められるような気がしたから、かなと思う。
〝言葉の檻〟という表現がある。
言葉で表されるとき、それによって思考や表現が制限され、自由に発想できなくなる状態のことだ。
言葉はともすると檻にもなりうる…
かつて私は、親からの強い言葉による表現で制限を受けることが多くて、居心地悪いところに閉じこめられてきた。
なのに、これ以上閉じ込められたくない。
どこかでそう感じた気がする。
自分の周囲にいる人たちから、
あなたはこーだよね、あーだよね、と一方的に語られたりすることがあった。
そんなとき、私はとりあえず頷く。
そして同時に…
そんな言葉だけで簡単に表現されたくない、
とどこか反抗心でいっぱいだったと思う。
ジブン言葉を増やす
最近になって、出来る限り焦らず言葉以前の私に留まることを心がける時、外側の言葉にすぐに振り回されないようになってきた。
特にインパクトのある言葉を受けてしまったときは、打ちのめされないように気をつけるようになってきた。
振り回されない日々を過ごすうち、自分の内側に、まさにオリジナルの表現が育ってくる。
〝言葉以前〟を大切にし続けたとき、種から芽が出るように、私の中から言葉がむくむくと芽を出す。
そうして出てきたオリジナルのジブン言葉を私が自由に紡いでいくとき、出来上がったものを身にまとうとき、私は私をもっと守れるかもしれない。
そんな風に思うのだ。
つたなくてもい。
私は自分で自分の言葉を紡いでいきたい。
そしていまは、そんな自由な空間にひたすら身を委ねていたい。