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ふとした光景からどんな物語を紡ぎ出すのか

ふとした光景、そこからどんな物語を紡ぎ出すかは人それぞれ。その人次第なのだな、と感じいった一冊です。

ヨシタケシンスケさん 「もうぬげない」

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表紙のこの光景…。

これ本当にあるあるなんですよ、うちの息子。。
母としては「もうっ!」ってな光景です。
そんなありきたりな感情をスルっとかわして物語は進んでいきます。

ふくがぬげなくたって、なんとかなる!?
人生の悩みごとは、ヨシタケ流ユーモアでのりこえよう!
ふくがひっかかってぬげなくなって、もうどれくらいたったのかしら。このままずっとぬげなかったらどうしよう。でも、なんとかなりそうな気もする・・・!さて、どうする??

「ふくがぬげない」という光景からここまで想像の世界を広げられるのかと驚くばかりの、ヨシタケシンスケさんのユーモアとやさしさ溢れるストーリー。

「もうぬげない」を卒業しているお姉ちゃんは大爆笑。
現「もうぬげない」息子は決まり悪そうに笑っていました。

母は想像の余白を持つことで、あたたかく現実を受け入れることができるものなのだな、としみじみした次第です。ほっこり。

↓こちらのダヴィンチのインタビューでヨシタケシンスケさんが「もうぬげない」の着想について語っておられました。

『もう ぬげない』『りんごかもしれない』…膨らみ続けるオモシロ妄想も「まずは常識を知ることから」

今回の『もう ぬげない』では、最初に思いついた脱げないかわいらしさ、情けなさみたいなものを最も大切にしたいと思ったので、どうしたらそれを色褪せずに残すことができるか、と考えを進めていきました。

かわいらしさと情けなさを大切にすること。
この感覚は絵本からすごく伝わってきます。

まずは、常識を知る。普通だったらこうする、ということが分かると、何が起こると普通じゃないかということが逆説的に出てきます。それをどう作るのがおもしろいか、ということを理詰めで考えていくんですね。

現実から想像へ軽やかに飛躍しているように見えて、実は理詰めで、常識からの逆説として想像の世界を構築している。
こういう発想はなかったです。奥が深い!

子供って基本的には無力なんですよね。自分で想像を広げて、自分の頭で考えて遊ぶことしかできない。子供は自分では何も選べませんからね。
でも、それでお母さんを恨むわけでも、退治するわけでもない。こういうものだと受け入れるしかないわけで、さんざん空想の世界に飛んでいったのに、最後は日常に戻ってきているんです。
現実はなかなか変えられないけれども、自分で何かを妄想したり、見方を変えておもしろがることはできるんだ。こんなふうに考えたら生きるのもおもしろいかもな、と少しでも思ってもらえたら本望です。

大人の目線ではなくて、こどもの読者の目線に立ってメッセージを伝えておられます。

空想の世界から日常に戻る無情さ。
それでも想像力をもつことで、現実をおもしろがりながら生きていける。

絵本を通して子どもにこのメッセージが伝わっていくといいな。

これから「もうぬげない」姿の息子を見るときはこの絵本のことを思い出して、ふっと笑えそうな気がします。

いつかは卒業する「もうぬげない」年頃、今は温かく見守ってやりたいと思います。

お読みいただきありがとうございました。





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