断食(絶食)で怒りが湧いてきた話
食べることも大好きな私が
断食をせざるを得なくなったことがあります。
そのときのことを書いてみようと思います。
痛みがあるときは、
とにかく楽になりたい、それだけで
食欲は皆無なのですが、
痛みが治まって元気になってきたとき、
断食はやはり辛いものがあります。
最初に湧いてきたのは
あぁ、しばらく食べられないんだ、という絶望感。
それが過ぎると
全身が赤トウガラシになるほどの
怒りが湧いてきました。
「私が何の悪いことをしたんだ!」
「もっともっとひどいことしてる人だって沢山いるじゃないか!」
「私にだって1日に3回食事を楽しむ権利があるのに!」
要約すると
この3つくらいの思いからなる
怒りでした。
冷静に考えれば
1つ目は
普通に生活している中で
たとえ、それを予期したり注意したりすることが、
かなり難しいことであったとしても、
他からの力で無理やり何かされたわけではないのだから
誰のせいでも何のせいでもない。
たぶん自分に原因があったとしかいえません。酷だけれど。
2つ目は
他の人がどういう人に見えようが、その人の本当の状況も思いも行動も
実際にはその人にしかわからない。
その中での因果はしっかり回っているわけだから
ブラックボックスを外から見て何か思っても、ましてや比べてみても
全くの不毛というか、無意味です。
3つ目は
よく考えると、とても傲慢。
食べる権利なんて、本当はない。
ない中を、命を繋いでいくために食べさせていただいていることに
当時の私は思い至りませんでした。
それでとにかく身体じゅうから湯気が出そうなくらい苛立って
でも、しかたない、
受け入れざるを得なくて、受け入れました。
そのとき助けられたのは
出来るだけ、食べ物から距離をとること。
そして、
なにか別のことに集中すること(仕事でも何でもOK)
でした。
それでも、たまたまデパ地下を通過しなくてはならないときとか
ここにある全ては、私はもう楽しめないんだ
と思って、涙ぐんでしまったことも思い出します。
そういうのを何度も繰り返したら、
またなんでも美味しく楽しめるようになった今も
気づいたら、また少し違った心持ちになっていました。
美味しそうに並べられたお料理よりも、まずは集っている人の
「美味しそう!」
「何食べようかな~」
というようなウキウキ明るい表情や雰囲気のほうから
栄養をいただくようになったというか。
もちろん変わらず、食べるのも大好きなんですけどね。
追記:
今は世の中全体が大変な流れで、
身体が元気であればあるほど
普段できていることができずに
苛立ったり
ムシャクシャすることもあると思います。
そういう場合
どうしたらいいのかはわからないけど
「もし」をイメージして、
今あることの幸せをもう一度噛みしめてみたり
深呼吸して
自分の身体や感覚と繋がってみるのもいいかな
と思います。
脳は騙されます。
刺激の強いものを
好き!と思ったり評価したりしたくなる。
個人の嗜好・どう生きたいかや経済や色んなものがかかわってくるから
なんとも言えないのですが
頭や心が納得するよりも
自分の奥底を成長させる緊張やワクワクのほうを選んで
過ごせたらいいなと、個人的には思います。
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