「自分はこう思う」を人に伝えるというコト
恋人と話をしていて、イヤ・不快・不安・寂しい‥といった「ネガティブな思い」や「経験」「出来事」などを解決しようとするときの話になりました。
彼女は、
「私は○○と思うんだけど、あなたはどう思う?」
ということを訊きたい、そしてそれを足掛かりに話し合いをしたい、と思っているものの、僕に対してなかなか言い出せない“もやもや”した気持ちがあるのだそうです。
それは、「○○」の部分。
「自分が具体的にどう思っているかわからない」
「それを相手に伝えていいものかどうか?」
という迷いからだといいます。
それを自分なりに考えてから僕に伝えてくれます。
一方僕は、
「自分はどうしたらいいのかがわからない」
「自分が“どうしたいのか・こうしたいんだけど”という気持ちが無い」
が始点で、そこから人にアドヴァイスを求めいろんな人に訊きまくるという方に行ってしまいます。
おそらく、子どもの頃の癖で
「正しい正解に導かないといけない」
「正解は一個しかない」
という思い込みがそうさせてているんじゃないか?と思います。
そして
「人のいうことは素直に聴いて実行しなさい」
「『でも』とか反論したり、反抗したりするな」
という、今まで大人たちから言われてきたこと———(もっと言えば今までの大人たちの“ある種の”間違い)や、
「せっかくアドヴァイスをしているのに、何にも活かせてないなんて失礼じゃん」
という過去の気持ちが頭にしみこんでいるせいか、すべての人のアドヴァイスを鵜呑みにしてしまう傾向があります。
(最近は、「これは“なし”だよナ」というアドヴァイスに対しては「ありがとう」とだけ言ってサッと手放すことが少しずつ出来るようにもなりましたが)
本来なら、それらをうまくやりくりして
Ex:1「●●さんはこう言っていて、僕もその意見がいいと思った」
Ex:2「●●さんはこう言っていたけど、僕はやっぱり△△だと思う」
と言えればいいのに、「うまく言えない」「言いたくない」「言おうとしない」。
また、
「人の意見を聞いて自分がどう思ったか・考えたか」というのが「自分の意見」ではなく
「人に頼らず自分の頭で考えだしたオリジナルの意見」というのが「自分の意見」というふうに思い込んでしまっている、というのが僕の悪い癖だと思います。
理由としては、
①挨拶や当たり前のコミュニケーションのやり取りの仕方・言い方・文法は、何度か実践すれば慣れて使いこなせるようになるけれど、「自分の意見を言う」という言い方・伝え方のバリエーションが自分の中に引き出しが無いこと
②「失敗するのが怖い」「嫌われるのが怖い」「人を不快にさせてしまわないかという不安」「過去に自分が選び取ったものに対してマイナスな事を言われまくった経験がある」などということからくる心理的な抵抗
の二つがあります。
要は、問題なのは
「自分の答えを出すということが“恐怖”になってしまっている」
ということです。
自分の意見や感情をもっと表面化していい、言語化していい、という許可が出せず、自分の苦手を認めたくない・もっとできるはずだ、と思っている自分がいる一方で、
「自分の意見を言って欲しい」という恋人の思いを大事にしたいとも思っています。
さらに良くないのは、恋人をはじめ、人が一生懸命かみ砕いて説明してくれているのに、僕の理解度が遅く、(ゆっくり考えこまないとわかんない、でもこれだけていねいに話してくれているんだから理解しなきゃ!)という葛藤から
「あー、オレ頭悪いなぁ~!」
という言葉が出てしまいます。
これも僕の悪い癖。
自閉症スペクトラム障害を持っている僕ですが、成人知能検査の上では言語性をはじめIQは高めとの診断が出ています。
しかしながら、新しい事や不慣れな事などの説明は、口頭でも文字化でもわかりづらく、一つひとつを繊細に丁寧にゆっくりと、悪く言えば「馬鹿正直に・馬鹿丁寧に」、同時に何百もの情報を処理していくのが、とても大変で難しいのです。
「よくわかりません」ではなく何某かの別なものを出した方がいいんだけど、いきなりは難しいです。
でも、電話や対面で、時には二人の間にノートを用意して文字化していきながら、二人の思いを話し合っているのはとてもプラスで、その中で、
「もっと自分と向き合うことをしなきゃだなぁ」
「素の自分を出せるといいなあ」
と思っている今日この頃です。
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