どんなにドン底でも、苺タルトが美味いと思える日は来る
休職期間6ヶ月+無職3ヶ月の
無職になって3ヶ月が経つ。休職期間を含めると、仕事から離れて9ヶ月だ。
「休職」や「無職」は、マイナスの出来事として捉えがちだ。特に、メンタルダウンなどの不調が理由の場合は。だけど最近は、そんなにマイナスでもないかもな、と思うようになった。むしろ、じっくりと自分と向き合う時間を過ごせて、今となってはありがたいなぁ、と思う日々である。
とはいえ、休職し始めた頃は最悪な状態だった。眠りから目覚めては、これからも生きていかねばならないことへの絶望感に苛まれた。生きることと死ぬことの境界線を、ふらふらと危ういバランスで歩いていた。
時間が経つにつれてだんだんと死への誘惑は薄まってきて、現在では「今」を生きられているように思う。
3年日記を書いている。
2021年の4月から書き始めたから、もうすぐ2年になる。使っている日記はB6サイズで、1ページに3段の欄があり、3年分の日記を書けるようになっている。過去の同じ日に何をしていたのかがわかる構成で、1年前や2年前を見返すとなかなか面白い。
筆跡に当時の自分の状態が如実に表れているのも面白い。疲れていただろう日は、罫線からはみ出るくらいでかくて雑な字だし、ぐるぐる思考に陥って視野が狭くなっていた日は字もちまちまと小さい。逆にものすごく丁寧に書いている日もあれば、イラスト混じりで愉快な日もある。
書き始めたきっかけは、当時働いていた会社で環境の変化や立場の変化があったことだった。なんだかいろいろ起こりそうな予感がして、記録していくことにしたのだ。
まさか2年も経たないうちに自分が無職になっているなんて、日記を書き始めた頃には予想していなかったけれども。まぁ、これも「なんだかいろいろ起こりそうな予感」の一つなのかもしれない。
休職してからも、日記は欠かさず書いていた。何もできない自分の状態を書くのは苦痛を伴うこともあったけれど、いずれ「過去」として思い出になる日がくる、と自分に言い聞かせながら。
日記を見返していると、去年の今頃は絶不調だったことがわかる。眠れない、やる気が出ない、頭が痛い、などなど。色々な症状があったけれど、顕著だったのは、胃腸の不調だった。下痢が続いたり、少しでも脂っぽいものを食べると腹痛になったり。お粥かうどん、ウィダーインゼリーしか食べられない日が続いていた。
あまりにも不調が続くので、人生初の胃カメラをすることになった。胃カメラといえば痛くて苦しいものというイメージでドキドキしたけれど、鎮静剤を使っての検査で全く痛みを感じないまま終了。ふわふわした意識のままあっという間に終わって、拍子抜けした。ただ、検査の前に飲んだ、口の中を麻痺させる薬がめちゃくちゃ不味かったのは辛かった。ものすっごく苦いドロドロしたキャラメルのようなものを口に含み、飲み込まないようにしばらく口の中でキープするのだ。仰向けで寝ている状態で飲み込まない、というのがかなりキツかった。なんだか舌もピリピリするし、吐き出したい衝動に駆られるのだ。時間にしては1分もなかっただろうが、永遠に感じられた。
うわ〜苦い。
文章を書きながら当時の苦味が蘇ってきて、気づけば鼻に皺が寄り、口元がへの字に歪んでいる。小皺が増えるので慌てて戻した。
苦い思いをしながらも、結局原因はわからないままだった。胆のうや肝臓にも異常が見つからず、「乳糖不耐症かも」という結論になった。
牛乳やチーズ、ヨーグルトといった乳製品に含まれる「乳糖」によって胃腸に症状が出ることがあるらしい。牛乳が大好きで毎日飲んでいた身としてはかなり残念な結果だったのだが、代わりに豆乳を飲んでやり過ごした。
何を食べても美味しいと感じられない。食事が楽しくなくなり、食に対する興味も薄れていった。
今思えば、適応障害の症状がすでに出始めていたのだろう。人生初の胃カメラから3ヶ月後、休職することになるのだった。
さて、胃カメラから1年、無職になって3ヶ月の今。とにかく食事が楽しいのである。脂っこいものを食べても、乳製品を食べても不調になることはなくなった。
食事が美味しく感じるようになるにつれて、食への興味も戻ってきた。何を食べようか、何を作ろうか。美味しい、という感覚がこんなにも幸せだと知れたのも、最悪の状態を経験したからこそ。自分が作った料理で家族が「美味しい!」と喜んでくれると、尚更嬉しい。
最近では、苦手だったお菓子作りにも挑戦した。お菓子作りってこんなに楽しい時間だったのか!と、新たな気づきを得られた。
ちなみに、苦手になったきっかけは学生時代に遡る。女子校に通っていた当時、バレンタインデーに友人同士でチョコ菓子を交換する「友チョコ」が大流行した。前日の夜にチョコ菓子を大量生産し、部活の先輩や後輩、先生たちに渡すためにラッピングをし、クラスメイト用には大きなタッパーに入れて休み時間に配り歩くのだ。一年に一度の大イベントで、私の学校ではちょっとした祭り騒ぎだった。
ある年のバレンタインデーに、生チョコ作りに挑戦した。レシピ通りに作っていると、混ぜた材料をパレットに伸ばした時点でやたらと粘り気が出始めた。違和感を覚えながらも、ひとまず冷蔵庫に入れてみた。冷えればなんとかなるだろう、と楽観していたのだ。
冷蔵庫から取り出すと、すっかりキャラメル状になっていた。試しに包丁で切ってひと欠片食べてみると、ネチョネチョと歯にくっついて全く食べられない。生チョコどころではなくなった。それ以来、私は生チョコをキャラメルにする女として生きてきた。
先日、友人から「タルトづくりをしよう」と誘われた(「友人」というのにはおこがましいくらい人生の大先輩なのだが、他にしっくりくる表現を知らない)。彼女は料理が得意で、自宅にお邪魔するといつも美味しい料理やお菓子をふるまってくれる。ほっとする味で、いつも幸せな気分にしてくれるのだ。
生チョコをキャラメルにする女である私でも、美味しく作れるように友人は工夫をしてくれていた。タルト生地はあらかじめ友人が作っておいてくれて、私はカスタードクリームづくりを担当した。レシピと睨めっこしながら、慎重に材料を計量し、焦げないように気をつけながら小鍋で混ぜ合わせ…カスタードクリームは少しダマになってしまったけれど、友人は「すごい上出来!」と褒めてくれたので大成功ということにしておこう。
出来上がったカスタードクリームをタルトに流し込み、あーだこーだ言いながら一緒に苺を盛り付けた。新鮮な苺を「これでもか!」というくらい盛り付けて、贅沢なタルトが完成した。
出来上がった苺タルトは、最高に美味しかった。
みずみずしい苺と、ほのかに甘いカスタードクリーム、アーモンドバターが効いたサクサクしっとりのタルト生地。一口食べただけで絶妙な甘さが口いっぱいに広がって、思わず「うっっま!」と叫んだ。
友人とこんな風にゆっくりとお菓子作りを楽しめたのも、美味しいものを美味しいと感じられるようになったのも、休職と無職を通して健康になりつつあるお陰だと思う。じっくりと自分と向き合い、しっかりと休めたからこそ、幸せを感じられる感覚を取り戻すことができているのだから。
人にはそれぞれ、休んでじっくりと自分と向き合う時期があるのだと思う。人によってその時期が訪れるタイミングはそれぞれだから、周りが元気な中、どうして自分だけ…と落ち込むこともあるだろう。だけど、自分にとって必要なタイミングだっただけなのだ。周りと比べる必要なんてない。みんな同じペースで生きているわけじゃないんだから。自分のタイミング、自分のペースを大切にしていけばいい。苦しいこと、辛いこともいつか必ず過去になって思い出になる日がくるから、大丈夫。
苺タルトを頬張りながら、思うのだった。
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