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引きこもっているから見つけられることもある

今日はずっとゲームをしていた。
いや、今日“も”である。ここ数日、すっかり引きこもりスイッチが入っている。
布団から出たら、リビングにまだ出しっぱなしのこたつへ一直線。こたつに住み着く魔物となる。

この魔物、美味しいものを食べたいという欲はあって、料理をする。
イングリッシュマフィンをトーストし、目玉焼きをつくり、フライドポテトを揚げ、小鍋で温めた豆乳でホットココアを作る。料理と言えるのかは怪しい。

だが、寝起きにこのちょっと手間をかけた朝食(ほぼ昼食)を食べると、満たされる。満たされたまま、YouTubeで動画を流しながらゲームに興じる。

日光を浴びた方が良いことは頭ではわかってはいるが、一歩も外に出たくない。今日なんて、外は快晴でぽかぽか陽気でお散歩日和。だけど、今の私には太陽が眩しすぎる。
一日5000歩歩いていた先週と打って変わって、今日は250歩。家の中をうろついただけ。20分の1って。極端すぎやしないか。

さっきまで、WBCをテレビで観戦していた。試合が始まった当初は全く興味がなかったのだが、母が見ている横で流し見していたらすっかりハマってしまった。
「え〜野球ぅう?全然興味な〜い。変えてよ〜」とぶーぶー言っていたのだが、今日なんて「いけぇぇぇえ!!」と近くにあった着圧ソックスをぶんぶん振り回して応援していた。
手のひら返しも甚だしい。
しまいには、「スポーツ観戦ってやっぱいいね!」なんて言っている。私よ、調子良すぎやしないか。

スポーツ観戦といえば、もっぱらテレビでの観戦というインドア派の私であるが、2回ほど現地で試合を見たことがある。

中高時代の夏休み、体操部と水泳部の試合を観に行ったのだ。
ものすご〜く楽しみに見たかというと、その真逆。夏の暑い中、制服で遠い試合会場まで行くなんてめんどくせぇ、と思っていた。クーラー効いた部屋でゴロゴロしていたい、と。
行かなければいけなった理由は、校内新聞の取材。中高時代に生徒会の広報部だった私は、月に一度ほど校内新聞の発行を担当していた。その月の目玉となるニュースや、部活動の実績報告、先生へのインタビューや部活で活躍している生徒へのインタビューなどなど。B4サイズの両面1枚にぎっしりと記事を書いて、毎号全校生徒+教師分で1200枚ほど発行していた。

夏休みに試合を見に行ったのは、たしか休み明け第一弾の新聞に記事を載せるための取材だったと記憶している。

めんどくせぇ、と思っていたのが一変。会場に入り、試合が始まると独特の空気感に飲み込まれた。
会場全体に広がる緊張感、選手たちの真剣な顔、飛び交う声援。顔見知りの同級生の番になると、こちらもドキドキと緊張感してくる。気づくと、応援に熱が入っていた。

残念なことに当時の記事は手元に残ってはいないが、試合の光景や音、臨場感ははっきりと覚えている。10代の拙い表現力にやきもきしながらも、当時の自分の精一杯で必死に記事を書いたことも。

テレビ観戦は良い。
家でリラックスしながら、試合を大画面で見られる。選手の顔がはっきりと見えるし、リプレイやスロー再生もあって試合の様子もわかりやすい。

だけど、試合会場に流れる独特の緊張感や熱気、一体感、振動はなかなかテレビ越しには感じられないもの。体感として深く刻まれて、記憶に鮮明に残る体験となるだろう。
やっぱり、あと一度くらいはなにかのスポーツ観戦を現地でしてみたいな。でもやっぱ家でゴロゴロ見てるのが気楽だな、と好奇心と出不精が交互に顔を出すのだった。

そういえば、中高時代の経験がきっかけで、文章を通して伝えることを仕事にしていきたいと思ったんだっけ。
編集者や広報という仕事を選んできた理由を思い出した。そして今は、こうしてnoteで書いている。

私は自分が思っているよりもずっと、文章を書くことが好きで、自分にとって大切な表現方法なのだろうな。

引きこもっていたからこその気づき。
原点を思い出して、ちょっとほくほくした。

イラストbyあっこ
こたつむりと化しています。


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