朝日新聞が報道した「平和よみがえる南京」の写真特集。⑪(日本軍による虐殺などなかった証明)を紹介します。
手を握り合って越年
写真特集その四
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十二月三十日の新聞掲 載ゆえ、おそらく、二十八日ごろの撮影(占領十 六日目)である。タイトルは、「手を握り合つて 越年《日に深む南京の日支親善》」である。
この写真版には写真説明のほかに、「南京の正月/お餅もOK」という次のような記事が載っている。これまた和やかな駐屯地風景である。
各部 隊の兵隊たちは故国の正月を偲んで門松や鏡餅ま で用意し、中国の子供たちにキャラメルなどを配 っている。歳末の雪の南京の街頭風景は文字通り ”手を握り合っての越年”で、平和さながらであ る。
〈南京城内に正月を迎へる皇軍將兵に二十九日各部隊毎に鏡餅やのし餅などが配られた。
◇・・・斷たれた水道も二十九日午後から復舊す るし電燈も是非今年内に復舊して、南京城内を 元通りに明るくさせたいとの皇軍の念願だ。
二十九日朝、二度目の雪に紫金山から城内に かけて一面銀世界となつた雪の中で、兵隊さん達 が市民と協力して道路の修理をしてゐる。
兵隊 さんは故國の正月を偲ぶために、松や竹を伐って来て、忽ち門松が出来上がる。〆飾があつたら本 格的だと残念そう。陽焼けの顔に鐵兜を傳つて 雪どけの雫がこぼれる。避難民區(安全區)域 では早朝雑貨市が立って、中々の繁昌だ。
◇・・・子供が日の丸の旗を片手に一方にキャラメルをしっかり握って元気そうに雪の中を遊んでゐる。元旦も間近だ。新しい南京が生まれる胎動がはっきり目に映る〉
寫眞説明は、
① 兵隊さんお正月用に靴の修繕致しませう
上海に(八月)あるいは杭州湾に(十一月)上陸して、各地に戦闘をまじえながら行軍に行軍を重ねてきた軍靴である。靴屋は大繁昌したが、修繕費は取らないと朝日の記者は書いてゐる。
② サァおつばいが足らなきやミルクをお上り= ヒゲの隊長温情
この中国婦人の嬉しそうな顔は どうだろう。
③ 坊や、トラホームを癒さなきやお正月は来ないよ=軍衛生班の活動
④ 新しいガーゼをとりかへていいお正月を迎へませう=軍醫部の活動 〔以上林特派員撮影〕
中国人靴屋は日本兵の靴の修繕サービスにつとめ、おっぱいの出ない中国婦人にはミルクを配給し、急造の病院で日本の衛生兵や医療班が中国市民の病気治療や施薬や看護にあたっている。この「日に深まる南京の日支親善」のうるわしい情景 を、四枚の写真は見事に描写している。
これに対して、東京裁判はその判決文の中で、 どう決めつけているかと言うと、
《日本兵は同市(南京市)を荒し汚すために、 まるで野蛮人の一団のように放たれた。(中略) 兵隊は個々に、または二、三人の小さい集団で 全市内を歩きまはり、殺人、強姦、旅意、放火 を行なった。そこには、何の気律もなかつた。 多くの兵は酔ってゐた。それらしい挑発も口実 もないのに、中国人の男女子供を無差別に殺し ながら、兵は街を歩きまはり、遂には、所によ って大通りや裏通りに被害者の死体が散乱した ほどであった。
(中略)後日の見積によれば、 日本軍が占領してから、最初の」六週間に、南京とその周辺で殺された一般人と捕虜の総数は、二十万人以上であったことが示されている。
(朝日新聞社編『東京裁判』〈判決文〉一〇二~三頁=傍点・田中)〉
これが「虐殺派」の「二十万以上」の根拠である。教科書もこれを援用して、「日本軍は、南京の住民七~八万人、武器をすてた中国軍兵士をふ くめると、二〇万人ともいわれる人々を殺害し、 南京虐殺事件として諸外国から非難されました」 (大阪書籍と東京書籍)とある。
つまり、東京裁 判の判決文のこの記述を、全くあやまりない真実 であるとして教科書は記述しているのである。
それでは、今まで見てきた四回にわたる写真特 集は、すべてやらせのこと写真である、とでも言 うのであろうか。記者のレポートもウソ偽りだ、とでも言うのであろうか。とんでもない。
東京裁判の検事側証人のならべたてた“白髪三千丈”式大デタラメ、
「野蛮人の一団が放たれ ・・・殺人、強姦、略奪、放火を行なった……多くの 兵は酔ってた……中国人の男子を無差別に 殺しながら街を歩きまはり・・・大通りや裏通りに は殺害者の体が散乱したほどだ……(その 暴虐行為が) 六進間も続いた」
と言うのと、今まで 見てきた写真やその説明と、どちらが本当か ?小学生の子供でも分かろう。
これが前にも述べたように、一級資料(前期資料〉と五級史料(東京裁判以降の後期史料) の相 違である。彼らにはもちろん証拠写真もない。
ちなみに、東京裁判は、いわゆる多数判決で前述の通り「二十万以上」と言っているが、松井大 将に対する個人判決では「十万以上」と、半分に 減じている。一つの裁判で、一方では二十万以上 殺害」したと言い、他方では「十万以上の殺害」 だと言う。しかも松井大将は、このために極刑を 受け、絞首台の露と消えたのである。
東京裁判がいかにデクラメな復讐裁判であった か、この一事でも知れよう 。
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朝日新聞が報道した『平和甦る南京』の写真特集
著者:田中正明 ( p、22~25 )
※ 深田先生から本の紹介の了解を得ています。
※ 次回も写真を載せたいと思います。