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ずぼら瞑想とマインドフルネスの応用
瞑想なんて「ずぼら」で良かった!?
もっとラクにできる、マインドフルネスの考え方。
続 「お経と瞑想」
マインドフルネスがブームで、本を参考に毎朝10分の瞑想を始める。
まぁまぁ、続けられた。
理想としては毎日15分が2回だと決めつけ、毎朝15分に延長する。
しかし、朝の忙しさと意志の弱さで、日課として予定はしているのだが、結局やめてしまった。
どうしたものかと試行錯誤していると、親友のお母さんについて知る。
最近、乳癌を患ったが、毎日お経を唱えたのがよかったのか回復に向かっている。
そこでお経と瞑想の関係を調べるととても興味深いことが分かった。
「お経≒瞑想」の関係を知って感化された私は、この投稿を書きながら1冊の本の再読をひらめいた。
それを機に、より深く瞑想(マインドフルネス)の応用について知ることになった。
今回はそのことについてまとめて投稿してみた。
「ずぼら瞑想」の果てに
まずは「ずぼら瞑想」という本を紹介する。
私の投稿では3回目の登場となる。
簡単に解説すると瞑想なんてまじめにやらないで、ずぼら瞑想で楽に生きる考え方を解説。
さらに各章の終わりに、実際のずぼらな瞑想方法を紹介したもの。
今回目的をもって再読(精読)した結果、次のようなことがわかった。
・瞑想は目をつぶろうが開けようがどちらでもよい。
・ほんの1分の瞑想でも効果がある。
・瞑想と意識すれば、どんなことでも瞑想になる。
・人間は自己表現を生きがいや癒しとしている生き物である。
・瞑想により創造力も向上する。
・瞑想はマインドフルに生きるための手段である。
・脳が疲れる習慣を見直すことがマインドフルネスになること。
つまりこの本で紹介されている瞑想は、「どんなことでも瞑想になる」という考えをもとにずぼらで続けられる瞑想の実例である。
「マインドフルネス」
=「瞑想」だが、
「マインドフル」
=良い・悪いを判断せず、「今、ここ」に注意を向けている心の状態
という意味も覚えておきたい。
さてこの本を読んだ後、とくに気を引いたのは「瞑想と意識すれば、どんなことでも瞑想になる」という事実である。
これについてネットで調べてみるとさらに面白いことが分かった。
マインドフルネスと、日常
マインドフルネスは、「今、ここ」で起こっていることに対して、判断をせずに「気付き」の能力を高めることである。
もともと、瞑想の伝統から出てきたものだと言われているが、私自身は、いわゆる「瞑想」にこだわる必要はないと思っている。
確かに、「マインドフルネス」の状態がどのようなものかを理解する上では、瞑想は有効である。
しかし、それは、唯一の方法ではないし、常に瞑想をしなければならないわけでもない。
むしろ、一度内的感覚を掴んでしまえば、あとは日常生活で良い。
心の持ち方は、圧倒的に多くの時間を占める日常の中でのそれが一番たいせつである。
たとえば、歩くことで、マインドフルネスの状態を内的につかんだとして、その後は、歩かなくても、仕事をしたり、雑談をしていても、マインドフルネスを実践できる、その感覚が大切である。
とても興味深い情報が得られた。
さらに裏付け
この情報を知った私は、茂木健一郎の著書「心が楽になる 茂木式マインドフルネス」も再読(精読)してみた。
前回読んだ時はやはり「マインドフルネスを難しい」とらえていたようだ。
呼吸を中心にした瞑想の習得ばかり読んでいて、今回の様にマインドフルネスの応用=「日常で自然に行う」という考え方を理解していなかった。
しかし今回、そのためのヒントを求めて精読すると、所々にそれが記されており、著者もそれを勧めていた。
この本から得られた情報もまとめてみると
・マインドフルネスは瞑想にこだわらなくとも、いちど、瞑想してみてマインドフルネスの感覚をつかんでしまえば(内的感覚をつかむ)、あとは日常生活の中でマインドフルな状態になることはできる
・日常生活をマインドフルにするには、一見複雑に見える仕事や、一見ややこしく見える状況でも、「今、ここ」で何をすべきかに集中すると、次第に楽に何をすべきか見えてきて道が開ける
・瞑想をしていない時間でもマインドフルでいられたら、自分にとってマインドフルになれるネタをたくさん持っていることが重要
この本にも、とてもいいことが書いてたあった。
最初に読んだ時に気づきたかったことばかりである。
まさに「ずぼら瞑想」の「瞑想と意識すれば、どんなことでも瞑想になる」ということについて裏付けが取れた。
一歩前進
思えばかなり前、CDの付属した瞑想の本を参考にスタートした。
とてもわかりやすい良書であったが、同時にいかに素人だったかを思い返す。
そして今日、瞑想(マインドフルネス)に対する考え方が変化し、実行にあたってそのハードルが低くなった。
まさに世界が広がった。
日課としては中断していたが、瞑想の感覚はつかんでいるので、今後は自分なりの日常生活でマインドフルになるように心がけたい。
というより、今回「お経と瞑想」の後、急ぎ本を再読したりネットで調べたりして新たな知識を得て、すでに自分なりに始めている。
特に食事では味わってゆっくり食べるようになり、ダイエットの助けにもなっている。
通勤時も歩くときに「歩行瞑想」を意識しているし、全体的に人当たりが穏やかになり、感情的になる場面が減ったようにも思う。
今後も日常でのマインドフルを意識してネタを増やし、ずぼらに継続していきたい。
noteの投稿をきっかけに、大きな前進をしたといえる。
最後に瞑想のネタを紹介
2冊の本の再読の際、気に入ったマインドフルになるネタがあったのでついでに掲載しておく。
興味を持ったら、ぜひ本を読んで、他のネタも知ってほしい。
「ずぼら瞑想」より
足裏の感覚を追いかける「ブッダ・ウォーキング」(歩行瞑想)
歩いている最中に足の裏の感覚に意識を集中させる、という瞑想。
たった一口で満足できる「マインドフル・イーティング」
食べ始めの最初の一口でだけでもよいので、目を閉じて、大切に味わう瞑想。
少ない量でもお腹が膨れるという効用がある。
駅で1人になるホーム瞑想
駅で他の乗客はみな改札に向かっているのに、自分だけベンチに座って呼吸瞑想をし、次の電車が来る頃にゆっくり改札に向かう。
自分だけが悠々と時間を楽しんでいると感じられるようになる。
駅の黄色いブロックの上を歩く
歩く瞑想の応用で、駅の黄色いブロックの上を歩く。
ゴツゴツした黄色いブロックの上を歩くと、足裏の鋭敏な感覚が戻る。
美しい文字を練習する
お経でなくてもよいので、丁寧に美しく字を書けば瞑想になる。
面倒なら、たった一文字「あ」と書くだけもよい。
自分の好きな言葉を書くのも、心が整う。
全身全霊で味わうコーヒー瞑想
たった1杯のコーヒーの美味しさを再発見できる瞑想。
忙しくても、最初の一口だけもでもよいので、その瞬間だけは、仕事のことも忘れて、目の前のコーヒーだけに意識を向ける。
お釣り瞑想
レジでお釣りを受け取る時の、ほんの一瞬の瞑想。
一瞬でも集中できれば、心が穏やかになり、その余裕から、店員さんに笑顔を返せたりすると、小さな幸せを感じることができる。
「心が楽になる 茂木式マインドフルネス」より
著者のネタは歩くことと走ることだが、それこそ、お皿を洗っているときでも、掃除をしているときでも、ご飯を食べているときでも、お茶をたてているときでもマインドフルになれる。
たった1杯のお茶を飲むときでも、また食事をするときもじっくり味わっていけば「食べる瞑想」になる。
お風呂に入るときもお風呂そのものを堪能すれば「入浴瞑想」になる。
通勤、通学などの道のりでも考え事をしたり目的地のことを気にしたりせずに、四季のうつろいや、鳥のさえずり、どこからかただよってくる花の香り、風の匂いなどを感じ、一歩一歩踏みしめて歩く感覚などを感じ取ればそれも瞑想になる。
他にも、歯を磨いているとき、スーパーでの買い物中、トイレに入っている時間、仲間と雑談している時間など、日常生活のちょっとした時間で今やっていることに集中できれば、雑念が消え、マインドフルな時間が増えこころ穏やかになる。
さらに、ネットサーフィン中でも自分が興味を持って調べていることに集中すれば、思考はさまようことなくマインドフルな時間を持つことができる。