【読書】『天路の旅人』読了後の爽やかさについて
天路の旅人
沢木耕太郎氏が珍しくテレビに出ていた。
ちょうど「天路の旅人」を読んでいたから、何を語るのか興味があった。天路の旅人は昨年読んだ長編の中でも心に残った作品の一つだった。
リアタイできなかったので、アマプラで見逃し放送を見た。
沢木耕太郎の話し方は淡々としていた。だが、芯のあるはっきりとした声だった。桑子アナが放送中にも気付いていたが、沢木耕太郎の眼は少年のようにキラキラとしていた。
「天路の旅人」は沢木耕太郎自身の旅ではなく、西川一三という男の旅をいうつかの視点から追いかけるという内容だ。今も若者たちのバイブルである「深夜特急」は彼自身がユーラシアを旅したときの物語だが、今回は違う。
西川一三という男は戦時期に満州へ渡り、そこで密偵となった。巡礼僧になりすまし、中国領へと潜入した西川は、その後8年にも渡り、密偵として活動し続けた。彼は満州を発ち、内蒙古、チベット、そしてインドやネパールへと旅した。その間、幾度となくヒマラヤを超え、砂漠を歩いた。そして終戦後数年経つと、日本へと帰国した。
ここまではなんとも興味深い旅の物語であり、誰もが興味を持つ箇所である。しかし、西川の真の魅力はおそらくそこではない。沢木が西川に強い関心を寄せたのは、きっと彼の旅の内容だけでなく、彼が日本に帰国してからの日々も含めた西川の生き様だっただろう。
西川一三という稀有な男
日本へ帰国した西川は旅の記録を一冊の書物にまとめた以外は、特別な活動をすることなく、盛岡の化粧品卸の会社を毎日淡々と営んでいた。
戦時期の同じ時期に、木村という男も西川同様に、密偵として内蒙古に潜入していた。その木村は、帰国後精力的に活動し、大学教員にまでなって、自らの旅や経験を活かしていたという。
一方の西川は、365日規則正しく、自らの仕事に邁進し、特別何かをすることもなかったという。
沢木耕太郎も、そんな西川の姿に強い興味を持った。
読後の爽やかな感触
天路の旅人を読了後、何故かとても爽やかな気持ちになった。何故だろうか。
西川一三は、密偵として内蒙古に潜入した。それは、国家のためという大義名分があってのことだ。西川は生真面目かつ、正義感の強い性格の人物であることが沢木の文章からは伺える。事実、西川は、日本の敗戦を耳にし、かなり動揺している。
一方で、西川には生来の好奇心、旅への本能的な欲求があった。そして、彼の8年間の旅も次第に、自己実現的な要素が強くなってくる。次はチベットに行ってみようとか、インドへもすぐいけるらしいとか。途中ふと気づくと、あれ潜入はどうなった?となるのだ。
でも、読者は西川に強い好感を抱くはずだ。何故なら、彼はその旅のことを誇示しなかったから。普通、そんな旅をしていたら「俺はこんなとこ行って、こんな苦労があって〜」とか武勇伝を言いたくなるはずだ。それが人間だ。ましてや、旅の内容もコンテンツ力ありすぎる。チベット後も蒙古語も覚えて、僧のふりして敵地に潜入して、、、いや、これ語らない方が難しくないか?
でも西川は自ら武勇伝を語ることはなかった。少なくとも大々的には。西川の旅は、自らの役割の枝葉に偶然実った果実のようなものだったのだろう。西川もその果実を誇示したりしない。そのとき食べた果実を思い出として、胸にとどめ、また淡々と自らの役割へと戻っていったのだ。その姿はとても清々しい。
旅の途中、西川は修行僧の日々淡々と鍛錬する姿に胸を打たれるシーンがある。日々の同じように繰り返す修行は、少しばかり退屈だが、生き方としてはとても美しい。信念を持ち、それを胸に刻んで、日々を過ごすチベット僧の姿は西川の生き方にもリンクすることがある。
でも日々の鍛錬だけで彼の人生は終わらない。少しばかりの好奇心によって辿り着いた旅の景色によって、彼の内なる人生は彩られる。
旅と信義に向かう修練の日々、これこそが西川の生き方を清々しくも魅力的なものにしているのだ。決して誇示しない。自分の楽しみだけに終始しない。大義を胸に抱き淡々と日々を営みながら、旅を胸に刻む。
そんな西川の生き方に触れ、僕はこの混沌とする情報化社会をまた憂うことになってしまった。日々、自らの行動をアピールするSNS社会。モンゴルなんて行ったら、インスタのストーリーはモンゴル関連で埋め尽くされるだろう。時代は違うが、今でも西川のような生き方はかっこいい。
誰かに語るために旅をするわけでもなく、わざわざ大金を払って豪遊するわけでもない。自らの役割を果たしながらその先の旅を楽しみ、自らの胸の内にその記憶を刻んで、生涯を全うした西川一三。清々しい彼の生き様に触れ、僕は読後、爽やかな気持ちになったのだった。
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