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木-えぞ松の更新-|幸田文

とある映画の予告映像が流れてきた。
主人公のおじさんが布団に寝そべって文庫本を読むシーンに目をとめる。
行きつけの飲み屋のママさんに「なんの本?」などと聞かれ「あ、これ?」と照れながら胸のポケットからヨレヨレの文庫本を出す手元に目をこらす。
---この本、実在するのだろうか。
検索。あった。試し読み。いい予感がする。作者の父は幸田露伴。岸辺露伴の名前の由来らしい(Wikipediaより)。よし、本屋。
そんな突発的な出会いだった。

北海道の自然林では、えぞ松は倒木のうえに育つ。(略)
それらは一本の倒木のうえに生きてきたのだから、整然と行儀よく、一列一直線にならんで立っている。

「倒木更新」で画像を探すと、もののけ姫のような世界が広がっている。
「えぞ松の更新」は、にわかには信じがたい一列一直線。
読みながら調べ物をするのは、私基準で良い読書の証し。

性を失いかけているところをこじる。その腐れはわずかなあらがいの後に、縦に一寸ほどむしりとれてきた。縦、つまり根元から梢に向けてむしれたのである。指の間のそれは殆ど崩れて、木片とはいえぬボロでしかなかったが、いとしさかぎりないものであった。すでに性を失うほどにまで腐っていながら、なおかつ、木は横には裂けにくいという本性を残していた。

そういえばと、小学校の山で椎茸を栽培していたのを思い出す。
陽の光が遮られ笹が生い茂り、折れたままの枝や落ち葉で覆われた地面を進んだ先に、椎茸菌を打ち込んだ原木が並んでいた。

死の変相を語る、かつての木の姿である。そして、あわれもなにも持たない、生の姿だった。先に見た更新を、澄みきって自若たる姿とするなら、これはまあなんと生々しい輪廻の姿か。なにか目を伏せて避けていたい思いもあるし、かといって逃げたくもない。

積み重なった落ち葉の下に蠢く微生物や、足がやたら細くて長い透明な蜘蛛が朽ちた切り株の上を動いているのがいちいち目に入って、私はそそくさと逃げ出す。
実際は小さな雑木林なのだが、膨大な命を抱えた見上げるような自然に、小学生の私は太刀打ちできなかった。
そんな母校も、数年前に閉校してしまった。

古びた遠い記憶を掘り起こされて一旦閉じる。
これは寝る前に一章ずつじっくり読もう。
次は『藤』。

それにしてもヨレヨレの文庫本って、気になりませんか。
シビれるあこがれる。