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情景の殺人者|森博嗣

おかしい。
プロローグを何度も確認しながら読みすすめたはずなのに。
いったいどこで私は思い込んだのだろう。
一行目から、自然に脳内のイメージが固まっていた。
冒頭の引用文や文章の手触りが、無意識にバイアスをかけたのか。

「やっぱ、ミステリィには、きちんとした結末がないとな。うん、これで一件落着だわさ」

p.202

今回は久しぶりにミステリィを楽しんだかもしれない。
最近の森博嗣作品の傾向からすると大変めずらしい。
しかし、私はどちらでもいい。
きちんとした結末とか、一件落着とか、そんなことはもうとっくに手放している。

Gシリーズのどこかで、真賀田四季の構想の一部を見せられているだけとわかってから、ミステリィとしてのトリックや解決が主軸におかれないことの不完全燃焼が、どうでもよくなった。
相手は真賀田四季ですよ。
彼女の断片だけをみてもなにも解決にはならないし、理解は到底できないし、そもそもそういう次元ではない。
なぜなら真賀田四季だから。
彼女の思考は今ここにはないのだ。
彼女の気配を感じる、それだけで価値がある。

「地味なストーリィだし、演出も控えめで、上品だったよね」

p.209

小川さんのシリーズは、地味で控えめで、上品である。
なぜだろう、なんだか泣きたくなる。

短編集『レタス・フライ』を本棚から取りだす。
『ライ麦畑で増幅して』
この時の、今にも消えそうな小川さんは、今はもう薄れている。
生きる気力を感じられる。
ついでに『刀之津診療所の怪』も再読。
加部谷と純ちゃんの会話を聞いていたら、なんとなくれんちゃんとシコさんを連想したのだ。
元気な加部谷を懐かしもうとしていたのに、思いがけず海月及介にも再会してきゅっとなる。
なんだかまた、泣きそうになった。

『すべてがFになる』を手にしたときからもう20年以上経つ。
たとえ真賀田四季の気配を感じなくても、やっぱり私は追い続けるのだ。