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春にして君を離れ | アガサ・クリスティー
ミステリーではないアガサ・クリスティー。
理想の家庭、理想の生き方を自負しているジョーン。しかし、登場人物達の会話からそれとは違う印象を受ける。
手がかからない子供達、と友人に自慢するが、回想シーンではだいぶ手を焼いている。
彼女の認識とまわりの認識の違い。自分が見たいようにしか見ていないジョーン。
学生時代のギルビー校長は、彼女の性質をちゃんと見抜いている。
手っ取り早いから、苦痛を回避できるからといって、物事に皮相的な判断を加えるのは間違っています。人生は真剣に生きるためにあるので、いい加減なごまかしでお茶を濁してはいけないのです。
娘のところから戻る途中、天候不良で汽車が来ず、砂漠のレストハウスで何日も足止めされる。客は自分ひとり。長い時間を持て余すジョーン。
そんなとき穴からトカゲが這い出るように、記憶がひょこっと顔を出す。
「あれはどういう意味だったんだろう」
「ときどきお母さんって、誰についても何も知らないんじゃないかって思うことがあるんだ……」
「お母さんって、お父さんのこと、何もわからないのかなあ」
見渡す限りの砂漠。遮断された空間で砂の恐怖に圧し潰されてぐるぐる内省するジョーン。
ジョーンの夫は、やりたい仕事をジョーンに大反対され、弁護士として働いている。本当に嫌なら説得でもなんでもできただろう。でもしなかった。やりたい仕事をしない選択をした。人生を変えない選択を。
「勇気ですって?そうねえ、でも勇気がすべてじゃありませんわ」
だれもが勇気に満ち満ちた正義の道を歩けるわけではない。なにかをごまかしながら現状維持で生きている。たぶんそれは私も。
プア・リトル・ジョーン。
君はひとりぼっちだ。これからもおそらく。しかし、ああ、どうか、きみがそれに気づかずにすむように。
夫は勇気を出して自分の人生を取り返すことをしなかった。
私はそれを臆病で冷たいと思った。妻と対峙することから逃げて、波風立てない生き方を軽蔑した。
でも。
「どうか、きみがそれに気づかずにすむように」
これが突き放しているようには聞こえないのだ。不誠実に限りなく近いけれど、彼の覚悟と愛だと信じたい。
砂の中に閉じ込められた仁木は生き方を変えた。
しかしジョーンは変わらない。
人間って、そうドラマチックには変わらないのよ。