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連作短編小説(12話完結)婿さんにいってもいいか

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邑智郡とかいて「おおちぐん」。島根と広島の県境の小さな町を舞台にした物語。都会から移住してきた青年と、Uターンの若者たち、91歳の「かつての」若者も一緒にくりひろげる心あったまる…
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記事一覧

連作短編小説「婿さんにいってもいいか」2月

【二月 告白】

 「ほいじゃけぇ、あの時の沈は、信博のせいなんよー」
 上機嫌のさつきの声が居間で響いていた。
 「ほいでも、あそこで沈したけぇ、あとでヤマセミをみれたんで」
 アルコールが入って一オクターブ高くなっている信博の声と一緒に。
 「あんたらのカヌーの話は、わしゃ、よぉ、わからん」
 「わしゃ、川舟に乗りよったけぇ、ちぃたぁわかるで」
 同じように上機嫌に彼らにつきあって呑んでいる父

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連作短編小説「婿さんにいってもいいか」1月

【一月 雪の日の別れ】
 
 敬太はマウンテンバイクのブレーキをかけずに農道をすっとぶように駆け降りた。
 ひゅーん!
 一月の冷たい風が鼻の奥までついてくる。涙と一緒に出てきた鼻水をすすりながら、農道を左にそれた。そこからは、降りた分だけ登る坂が待っている。自動車が交通手段の大半をしめている町内で、自転車を愛用しているのは敬太と高校生だけかもしれない。あとは自動三輪で車道を我が者顔で走るお年寄り

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連作短編小説「婿さんにいってもいいか」12月

【十二月 年越しの盃】

 「大晦日なのに勤務たぁ、栄子ちゃんもついとらんねぇ」
 老人福祉施設・桃玉の家ロビーで、シノさんがいつもの口調で呟いた。二人しかいない閑散とした空間に、テレビは紅白歌合戦を流している。
 「大晦日なのに私と二人ってのも、シノさんもついとらんねぇ」
 栄子も負けじと言い返した。
 盆や正月には息子や娘たちの元に帰省するお年寄りも多いなか、身よりのない人や、あっても様々な事

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連作短編小説「婿さんにいってもいいか」11月

【十一月 五臓六腑】

 まいった、神楽ってこんなに過激なステージだったのね。
 岡野さつきはマグカップを両手で包み込むように持ったまま、身動きひとつとることもできずに、真ん前で繰り広げられる華やかな舞台に目を見開いていた。
 決して広くはない神社の中に、ところせましと住民が座布団を並べて座ってる。だが、むんむんとした熱気はそこからではなく、一段高く設けられた神楽殿から発せられている。
 「ありゃ

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連作短編小説「婿さんにいってもいいか」10月

【十月 三角関係の秋】

 すっかり日が暮れるのも早くなり、夜七時ともなると外は真っ暗になってきた。いつも通りに仕事から帰ってきて、いつも通りに家族と夕飯を食べ、いつも通りに二階の自分の部屋にあがってから、栄子はフリースのポケットに入れていたスマホを取り出した。
 『家族の時間はスマホを見ない』
 お祖父ちゃんが決めた我が家のルールだ。Uターンで帰ってきたときは、『めんどくさっ!』と思っていたルー

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連作短編小説「婿さんにいってもいいか」9月

【九月 稲刈り体験隊】

 「え、そがぁに重装備なん?」
 違和感なく出てくるようになった方言で敬太は言った。
 目の前には、長袖、作業ズボン、長靴、軍手、NOSAIの帽子、そして首にはタオルをまきつけている信博が立っている。
 「こがぁな天気のええ日に、そがぁに着こんでやったら、暑うてやれんじゃろう?」なかなか流暢に邑智弁が口から出てくる。東京生まれも半年暮らせば方言もなじんでくるものだ。「それ

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連作短編小説「婿さんにいってもいいか」8月

【八月 夏、盆、そして…。】

 夏を暑いと思うようになったのはいくつぐらいからだったろう。
 九十一歳の石田ヨシノは、窓越しに真っ青な空を見上げて思った。
 『シノさん』と呼ばれ始めた女学生の頃、すでに『夏=暑い』ものだった。浴衣のすそをまくりあげ、弟を背負ったまま川に飛び込んで遊んでいた頃、『夏=遊ぶ』季節だった。水仕事もつらくなく『夏=手伝いも楽しい』季節だった。
 確かに温暖化とやらの影響

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連作短編小説「婿さんにいってもいいか」7月

【七月 真夏の夜の…】

 まいった!
 まだ、耳の奥がジンジンしている。脳味噌まで震え上がっているようだ。
 敬太はホビにさされた左肘をボリボリかきながら、花火の余韻が残る夜空を見上げた。
 煙った空気が鼻いっぱいに流れ込んでくる。
 生まれ育った東京では、花火大会と言えば花火より人混みと車の渋滞が主役だった。だから『大江戸の大輪の花火』は会場には行かず、自宅のマンションから手のひらサイズの大輪

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連作短編小説「婿さんにいってもいいか」6月

【六月 ゴー、ゴー、江の川】

 カヌーは一度体験したいと思っていたから、この機会を逃す手はなかった。
 岡野さつき、独身。
 名前の通り五月生まれ。この五月で三十五歳になり四捨五入すると四十代の年齢に突入してしまった。だけど、これまでの人生を後悔しているわけではない。
 大学も四年通い(あやうく五年になるところだった)、勢いで友達と事業も起こした。起業した会社は敢えなく倒産したけれど借金が残った

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連作短編小説「婿さんにいってもいいか」5月

【五月 初めての田植え】

「ええ天気になって、えかったのぉ」
朝九時。
迎えにきてくれた町役場の三浦照空が、軽トラの運転席から顔を出して声をかけてきた。
「日焼けせんようにしとかにゃ」
僕、早川敬太はニコニコと笑ってうなずいて、手拭いを首に巻いた。

この町にやってきて一ヶ月。
ついに、この大イベントの日がやってきた。
田植えである。
ノンフィクションな生き方を求めて、この町に農業研修生として暮

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連作短編小説「婿さんにいってもいいか」4月

【四月 ノンフィクションな人生】

生まれ育った島根のこの町に帰ってきて二年になる。
広島の大学を出てそのまま広島で就職し、四年間会社勤めをして退職した。これといった出来事もなくただ万全と一日一日を過ごしていた。さすがにこのままではいけないと、専門学校に通って介護士の資格を取得した。せっかく取得した資格を活かさない手はないんじゃないかと、田舎の母にすすめられるままに、地元の老人福祉施設の試験を受け

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