連作短編小説「婿さんにいってもいいか」9月

【九月 稲刈り体験隊】

 「え、そがぁに重装備なん?」
 違和感なく出てくるようになった方言で敬太は言った。
 目の前には、長袖、作業ズボン、長靴、軍手、NOSAIの帽子、そして首にはタオルをまきつけている信博が立っている。
 「こがぁな天気のええ日に、そがぁに着こんでやったら、暑うてやれんじゃろう?」なかなか流暢に邑智弁が口から出てくる。東京生まれも半年暮らせば方言もなじんでくるものだ。「それとも、びっしょり汗かいて、うまいビールを飲むためかぁ?」考え方も邑智郡並みに成長してきている。
 「はっはっ!」その発想には信博も大笑い。「それもあるかもしれんのぉ」
 今日は森脇家の稲刈りで、農業研修生である早川敬太は、田植えに引き続き『手伝い』と称した稲刈り体験ににていた。そこに信博の父であり、役場の課長である森脇課長が登場してくる。
 「敬太よぉ、」息子である信博と同じ格好だ。「田植えは裸足でもえかったが、稲刈りは肌が出とらんほうがええで。はしかいい思いするけぇのぉ」
 「はしかいい?」半袖Tシャツ姿の敬太は信博に目を向ける。「はしかいいって?」
 信博はニヤリ。「説明するより体験してみるのもええかものぉ」
 「な、なんだよぉ、いったい……」

 「敬太ーっ、」母屋から栄子が出てきた。「あんたの友達、何人くるんだっけ?」
 「三人」答えてから腕時計に目を落とす。「そろそろ来る思うんだが」
 邑智郡では稲刈り日和だが、世間は連休で、東京から敬太の高校時代の同級生が三人遊びにくる。敬太が『稲刈りだから一緒に遊べない』と断ると『私たちも稲刈りする』と言ってきたのだ。課長も『農業体験ツアーだな、こりゃ』と快諾してくれ、今日の稲刈り体験が実現した。
 「ここがわかるんかねぇ?」栄子が公道に続く家の前の細い道の先に目をこらす。
 「カーナビみてくるって言ってたから…」
 首都高を走るときは手放せないカーナビ。見知らぬ農村を走るときも心強い味方かもしれない。首都高は案内板だらけでどれを見ればいいかわからないけれど、農村では見るべき標識すらないのだから。
 「姉貴、」信博が栄子に言った。「今日は照空は来んのん?」
 「照空『さん』は出張、」栄子はボソッと答えて父を見る。「でしょ?」
 三浦照空は農業研修生事業の担当者であり、課長の娘である栄子と付き合っている。田植えは敬太と一緒にしたのだが、ここんとこ忙しい…みたいだ。
 「昨日は広島での島根県PRイベントの手伝いだったかのぉ」課長は腰のベルトに鎌を差しながら答えた。「今日、帰ってこれんこたぁなかったはずだがのぉ」
 「照空『さん』は、」信博が意地悪そうに口をゆがめて言う。「ご多忙ってか」
 何か反論しようと口をとがらせた栄子だが、近づいてくる一台の車を見つけた。
 「あ、あれじゃない?」
 栄子の声に三人が振り返ってみると、バカでかい白いワゴン車が、よちよちと細い農道を入ってくるところだった。品川ナンバーに虫がこびりついている。夜通し走ってきたのだろう。運転席の男が敬太に気づき『よっ!』と手をふる。そして、エンジンが止まらないうちにドアがスライドして、原色系のTシャツを着た女性が2人飛び降りてきた。
 「わー、早川ー、久しぶりー!」
 「すーんごい、いいとこじゃなーい」
 運転席からは疲れ切った顔の男が降りてくる。「こんちは」
 「いらっしゃい」課長が笑顔で迎える。
 「こんにちはー」
 「お邪魔しまーす」
 はしゃぐ女性二人も挨拶。
 「元気?」敬太は苦笑気味の笑顔で出迎え、課長たちに三人を紹介した。        
 「黄色のTシャツが近藤絵里、オレンジが河合真由美、そして岩野征二」
 「そんな紹介の仕方ないでしょー」黄色Tシャツが敬太をつつく。
 「それより、なぁに、その格好?」オレンジシャツが笑い声をあげる。
 「そんな重装備で暑くないの?」
 「…お前ら、」敬太は真面目くさった顔で言った。「はしかいい思いするぞ」そして、チラッと森脇家の三人を見てニヤリ。

 敬太は信博の助言通りに長袖Tシャツに着替え、作業ズボンのすそも靴下の中い押し込んで、首にしっかりタオルをまいた。東京三人組は戸惑いながら、タオルを首にかけただけで、原色系Tシャツのまま、田に降りた。
 稲刈りといっても、ほとんどはコンバインで一気に刈り取って農協に出荷する。課長の父親である森脇家のじいちゃんが早朝から張り切ってコンバインを動かし、大半はすませていた。
 敬太たち『稲刈り体験隊』は森脇家の食卓にのぼる分を担当。手作業で刈って、『はで』に干す。やはりお天道様の栄養を吸収した米のほうがうまいのだ。台風や雨など空模様と駆け引きする醍醐味もある。大きい米農家になると、竹で組んだ『はで』も六段や八段となり、干すのも大仕事だ。森脇家では三段だけど、それでも一仕事。もくもくと作業をこなしてゆく栄子と信博と課長とは好対照に、東京からきた三人組は大騒ぎ。
 「ここをワラでしばるのよ!」
 「違うって、あ、切れたじゃん」
 「そこ、蛇がいたよ」
 「大きい蜘蛛もいたっ!」
 稲刈りと言うより、稲を刈っている田んぼで遊んでいるだけにも見える。
 敬太はそんな友達の姿を見て微笑んでしまう。自分も半年前はそうだったに違いない。今は、少しは、『手伝い』の域に入ってると思うけれど。…少なくとも『邪魔』にはなっていないと思う。
 課長が鎌で刈り取り束ねた稲を、黄色Tシャツとオレンジシャツが並べる。それを敬太と征二がはでの下の栄子のところまで運ぶ。栄子ははでにかけやすいように分け、信博が受け取り干す。キャーキャーと手より口が動いている東京組だが、それでも、一度覚えた作業は段取りよくできるようになり、昼過ぎには作業も終了した。

 「ほら、こがぁやって、」三時の『たばこ』休憩も早めになり、母屋の前の木陰に腰をおろして、信博はワラの結わえ方を実演していた。「こう回して、くるっと、こぉ」
 「わー、ほんとだー、すごーい」
 甲高い声でほめられると、信博も悪い気はしないみたいだが、少々困り気味の笑顔を作っている。
 「俺から見れば、東京の地下鉄をすらすら乗り換えられる能力の方がスゴイけど」
 それには敬太も同感。東京生まれで東京育ちの敬太でも、日頃、乗らない路線は迷いそうになる。
 「あ」黄色Tシャツがポケットからスマホを取り出す。「ここ、ちゃんと、電波はいるんだねー」そして配信された情報に見入る。
 「ここにいるときくらい、スマホしまっとけよ」敬太がボソッと言うと、彼女は素直に従ってスマホをおさめた。
 「早川ー、」今度はオレンジが言った。「いいとこに住めて良かったじゃん」
 「ほんとよね」黄色が頷く。「一年間の農業生活って言いながらも、あんたのことだから一ヶ月で帰ってくるって、私たち話してたけど」
 「でも、不便じゃないのか?」征二が心配そうに付け加える。
 「いや、車で二十分も走ればコンビニもあるし」
 そんな敬太の答えにオレンジが反応した。「車で二十分はコンビニじゃないっしょ!」
 「……。」」言われてみればそうだけど、敬太はちょっとムッとしてしまう。「でも、深夜でも電話したら開けてくれる酒屋があるから」便利なコンビニがなくても不便ではないのだ。「家の裏には二十四時間営業の畑があるし」
 「でも、いいねぇ、こーゆーの」黄色がかばうように言った。「お天道様と一緒に生活してるっていうの?」
 「そうそう、いいよねぇ」オレンジも嬉しそうに言う。「健康って感じ」
 敬太は二人を見やった。ここの生活を良く言ってくれるのは嬉しい。けれど、彼女たちが自分たちの生活にしようと思っているとは思えない。それが悲しくなる。彼女たちに理解してもらえないのが悲しいのでなく、そんな風に友達を見てしまう自分が悲しくなるのだ。
 「気持ちいい汗をかいたって感じ!」オレンジが続けた。「稲刈りっていいわねぇ」
 彼女にしてみれば、稲刈りはテニスと同じスポーツなのかもしれない。
 「これで、おいしいお米も食べられるってわけね! 来年は田植えもさせてもらおうかなぁ」
 それまで黙って聞いていた信博が、ボソッと口を開いた。
 「田植えと稲刈りだけで米ができるわけじゃないんだがの」毎朝の水のチェック、除草、害虫退治……。
 「え?そうなの?」オレンジが本当に何もしらない無邪気な笑顔を浮かべている。彼女の生活圏では、米はスーパーで取り扱っている食品の一つにすぎない。
 「米は百姓が八十八回手をかけるから米って漢字なんだよね」征二が口を出してくれた。「それにしても、さ」そして首から背中をもぞもぞとかきながら言う。「なーんか、ちくちく痒いんだけど……」
 信博が満面の笑みを浮かべる。「それが、『はしかいい』ってやつ」
 「…」敬太も首をさすりながら頷いた。なるほど。作業中に稲穂があたった部分や、小さな小さな稲屑がくっついた肌のあちこちでチクチクして…はしかいいや。
 「それでさ、」信博が明るい口調で言った。「どっちが敬太の彼女なわけ?」
 え?
 敬太は飲みかけの麦茶を吹き出しそうになり、オレンジと黄色が顔を見合わせ、征二が上目遣いで二人を見る。そして、栄子の耳がピクリ!と大きく動いたのだった。

十月 三角関係の秋】に つづく


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