安芸子

スポーツジム勤務ランナーときどきライターです。 母の被爆体験にまつわるアレコレをつづっています。 元・農村生活体験研修生時代の日々を回顧した連作短編小説も掲載中

安芸子

スポーツジム勤務ランナーときどきライターです。 母の被爆体験にまつわるアレコレをつづっています。 元・農村生活体験研修生時代の日々を回顧した連作短編小説も掲載中

マガジン

  • 連作短編小説(12話完結)婿さんにいってもいいか

    邑智郡とかいて「おおちぐん」。島根と広島の県境の小さな町を舞台にした物語。都会から移住してきた青年と、Uターンの若者たち、91歳の「かつての」若者も一緒にくりひろげる心あったまる連作短編全12話です。

  • 母からの宿題~母の被爆体験を語る

    広島で被爆した母に育てられた被爆2世の私・安芸子 被爆体験の講話原稿を元にして、講話では語れないコトも書いてみました 全22話(いまのところ…)

  • 短編小説 家族伝承

    全4篇の連作短編小説。実話「母の被曝体験~母からの宿題」がベースの物語

最近の記事

連作短編小説「婿さんにいってもいいか」2月

【二月 告白】  「ほいじゃけぇ、あの時の沈は、信博のせいなんよー」  上機嫌のさつきの声が居間で響いていた。  「ほいでも、あそこで沈したけぇ、あとでヤマセミをみれたんで」  アルコールが入って一オクターブ高くなっている信博の声と一緒に。  「あんたらのカヌーの話は、わしゃ、よぉ、わからん」  「わしゃ、川舟に乗りよったけぇ、ちぃたぁわかるで」  同じように上機嫌に彼らにつきあって呑んでいる父親と祖父の声に、栄子は台所で母の後片づけを手伝いながら苦笑いした。  「お父さん

    • 連作短編小説「婿さんにいってもいいか」1月

      【一月 雪の日の別れ】    敬太はマウンテンバイクのブレーキをかけずに農道をすっとぶように駆け降りた。  ひゅーん!  一月の冷たい風が鼻の奥までついてくる。涙と一緒に出てきた鼻水をすすりながら、農道を左にそれた。そこからは、降りた分だけ登る坂が待っている。自動車が交通手段の大半をしめている町内で、自転車を愛用しているのは敬太と高校生だけかもしれない。あとは自動三輪で車道を我が者顔で走るお年寄りか。免許を持っているのだし、役場の軽トラを借りることもできるのに、自転車で走るの

      • 連作短編小説「婿さんにいってもいいか」12月

        【十二月 年越しの盃】  「大晦日なのに勤務たぁ、栄子ちゃんもついとらんねぇ」  老人福祉施設・桃玉の家ロビーで、シノさんがいつもの口調で呟いた。二人しかいない閑散とした空間に、テレビは紅白歌合戦を流している。  「大晦日なのに私と二人ってのも、シノさんもついとらんねぇ」  栄子も負けじと言い返した。  盆や正月には息子や娘たちの元に帰省するお年寄りも多いなか、身よりのない人や、あっても様々な事情で身を寄せることができない人たちが幾人か桃玉の家で年越しする。逆に正月早々に訪

        • 連作短編小説「婿さんにいってもいいか」11月

          【十一月 五臓六腑】  まいった、神楽ってこんなに過激なステージだったのね。  岡野さつきはマグカップを両手で包み込むように持ったまま、身動きひとつとることもできずに、真ん前で繰り広げられる華やかな舞台に目を見開いていた。  決して広くはない神社の中に、ところせましと住民が座布団を並べて座ってる。だが、むんむんとした熱気はそこからではなく、一段高く設けられた神楽殿から発せられている。  「ありゃ、呑んどらんのんかいの?」  森脇課長が持参の水筒から熱燗にした酒をそそごうとし

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        • 連作短編小説(12話完結)婿さんにいってもいいか
          11本
        • 母からの宿題~母の被爆体験を語る
          23本
        • 短編小説 家族伝承
          4本

        記事

          連作短編小説「婿さんにいってもいいか」10月

          【十月 三角関係の秋】  すっかり日が暮れるのも早くなり、夜七時ともなると外は真っ暗になってきた。いつも通りに仕事から帰ってきて、いつも通りに家族と夕飯を食べ、いつも通りに二階の自分の部屋にあがってから、栄子はフリースのポケットに入れていたスマホを取り出した。  『家族の時間はスマホを見ない』  お祖父ちゃんが決めた我が家のルールだ。Uターンで帰ってきたときは、『めんどくさっ!』と思っていたルールだが、このルールがないと仕事していない時間は、ずーっとエンドレスにスマホにさわ

          連作短編小説「婿さんにいってもいいか」10月

          連作短編小説「婿さんにいってもいいか」9月

          【九月 稲刈り体験隊】  「え、そがぁに重装備なん?」  違和感なく出てくるようになった方言で敬太は言った。  目の前には、長袖、作業ズボン、長靴、軍手、NOSAIの帽子、そして首にはタオルをまきつけている信博が立っている。  「こがぁな天気のええ日に、そがぁに着こんでやったら、暑うてやれんじゃろう?」なかなか流暢に邑智弁が口から出てくる。東京生まれも半年暮らせば方言もなじんでくるものだ。「それとも、びっしょり汗かいて、うまいビールを飲むためかぁ?」考え方も邑智郡並みに成長

          連作短編小説「婿さんにいってもいいか」9月

          連作短編小説「婿さんにいってもいいか」8月

          【八月 夏、盆、そして…。】  夏を暑いと思うようになったのはいくつぐらいからだったろう。  九十一歳の石田ヨシノは、窓越しに真っ青な空を見上げて思った。  『シノさん』と呼ばれ始めた女学生の頃、すでに『夏=暑い』ものだった。浴衣のすそをまくりあげ、弟を背負ったまま川に飛び込んで遊んでいた頃、『夏=遊ぶ』季節だった。水仕事もつらくなく『夏=手伝いも楽しい』季節だった。  確かに温暖化とやらの影響で、年々、夏の暑さは過酷なものになってきている。蚊帳の中で団扇で風を作っていたの

          連作短編小説「婿さんにいってもいいか」8月

          連作短編小説「婿さんにいってもいいか」7月

          【七月 真夏の夜の…】  まいった!  まだ、耳の奥がジンジンしている。脳味噌まで震え上がっているようだ。  敬太はホビにさされた左肘をボリボリかきながら、花火の余韻が残る夜空を見上げた。  煙った空気が鼻いっぱいに流れ込んでくる。  生まれ育った東京では、花火大会と言えば花火より人混みと車の渋滞が主役だった。だから『大江戸の大輪の花火』は会場には行かず、自宅のマンションから手のひらサイズの大輪を目にしたものだ。距離があって、ポーンと音がしてしばらくしてはじける大輪を。  

          連作短編小説「婿さんにいってもいいか」7月

          連作短編小説「婿さんにいってもいいか」6月

          【六月 ゴー、ゴー、江の川】  カヌーは一度体験したいと思っていたから、この機会を逃す手はなかった。  岡野さつき、独身。  名前の通り五月生まれ。この五月で三十五歳になり四捨五入すると四十代の年齢に突入してしまった。だけど、これまでの人生を後悔しているわけではない。  大学も四年通い(あやうく五年になるところだった)、勢いで友達と事業も起こした。起業した会社は敢えなく倒産したけれど借金が残ったわけではなく、豊富な知識が残った。  いつも自分の思うままに生きてきて、そうさせ

          連作短編小説「婿さんにいってもいいか」6月

          連作短編小説「婿さんにいってもいいか」5月

          【五月 初めての田植え】 「ええ天気になって、えかったのぉ」 朝九時。 迎えにきてくれた町役場の三浦照空が、軽トラの運転席から顔を出して声をかけてきた。 「日焼けせんようにしとかにゃ」 僕、早川敬太はニコニコと笑ってうなずいて、手拭いを首に巻いた。 この町にやってきて一ヶ月。 ついに、この大イベントの日がやってきた。 田植えである。 ノンフィクションな生き方を求めて、この町に農業研修生として暮らすようになって、この日を待ち遠しく指折り数えていた。米作りの現場なんて初体験だ

          連作短編小説「婿さんにいってもいいか」5月

          連作短編小説「婿さんにいってもいいか」4月

          【四月 ノンフィクションな人生】 生まれ育った島根のこの町に帰ってきて二年になる。 広島の大学を出てそのまま広島で就職し、四年間会社勤めをして退職した。これといった出来事もなくただ万全と一日一日を過ごしていた。さすがにこのままではいけないと、専門学校に通って介護士の資格を取得した。せっかく取得した資格を活かさない手はないんじゃないかと、田舎の母にすすめられるままに、地元の老人福祉施設の試験を受けたら、再就職が決まってしまった。そのまま町営の特別養護老人福祉施設「桃玉の家」で

          連作短編小説「婿さんにいってもいいか」4月

          母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 番外編

          番外編 ばあちゃんのいとこ  母の母、つまり私の祖母ですが、 その従弟がアメリカで暮らしていました。 太平洋戦争が始まる前に移民した日系1世です。 1986年、21歳だった私。 アメリカのサマーキャンプ滞在中に思い出して、 祖母にコレクトコールで電話して、 住所を教えてもらいました。 カリフォルニアの山奥の住所です。 車で1時間ほどの距離。 ハガキを出しました。 すると、突然、訪ねてきれくれました。 びっくり!です。 「キミちゃんの孫か?」 自宅に招いてくれて、 5㎝の

          母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 番外編

          母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 最終話

          22.最終話…たぶん 被団協がノーベル平和賞を受賞されました。 でも、なんだか他人事の気持ちです。 いや、まあ、他人なんですが。 私は被団協の一員でもありませんし、 ニュースでしか見たことない方々ばかりですし、 そもそも、被団協の正式名称が 「日本原水爆被害者団体協議会」だと ネット検索しないと言えないですし。 核兵器廃絶、戦争反対。 願ってはいるけれど、 実際に行動したことはありませんでした。 そういうのは、ちゃんとした人がすることなんだろうから、と。 私は政治家でもな

          母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 最終話

          母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 21

          21.まだまだつづくおいおい話そうと思っていたこと 広島市の家族伝承者の認定を受けていないにも関わらず、 2023年3月に、原爆資料館(正式名は広島平和記念資料館ですが)で、 母の被爆体験を講話することができました。 とある「会」との出会いです。 名前は控えておきます。 これまた新聞から始まった出逢いです。 市が始めた家族伝承者事業は、 私と同じ関門にひっかかる被爆2世が多くいました。 そうです、親である被爆者がすでに亡くなっている人たち、です。 (あ、私の母はまだ生きて

          母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 21

          母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 20

          20.おいおい話そうと思っていたこと この「母からの宿題」を書き始めたとき、 私は諸事情で広島市が認定する伝承者になれなかったと申しました。 「その諸事情はおいおいお話しするとして」としたまま、 話し終えるところでした。 市の伝承者になるには、さまざまな条件がありました。 まず、被爆者である親が健在であること。 「短編小説 家族伝承」に記してある通りです。 親・被爆者の体験を原稿をまとめあげたあと、 市の担当者による確認作業の一つとして、 当人である親・被爆者に聞き取り調

          母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 20

          母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 19

          19.慰霊碑までの道 被爆体験を伝承していくことが、母からの宿題と思っておりましたが、 まとめて語っておわりにはなりません。 今、母の姉のことを調べています。そうです、米びつの米を心配しながら、 12歳で亡くなった玲子ねえちゃんです。 子どものころは、玲子ねえちゃんを思い浮かべるのが恐ろしくてたまりませんでした。玲子ねえちゃんが『私の人生を返せ』と言ってくるような気がしていました。祖母の部屋にあった写真をみるのも怖かったのです。少しでも油断すると、玲子ねえちゃんが出てきて

          母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 19