アリス・マンロー 『善き女の愛』
★★☆☆☆
2014年に刊行されたアリス・マンローの9冊目の短篇集。オリジナルは1998年に発表されたそうで、マンローは当時60代だったそうです。
いつも褒めてばかりいるので、今回は気になったところを挙げたいと思います。マンローの小説には、個人的に気になるところがあるんです。それは登場人物の把握しづらさです。
マンローの短篇にはしばしばたくさんの人物が登場します。それも5、6人が一気に出てくるんですね。たとえば、妻、夫、子供が二人、義父と義母が一堂に会しているような状況が描かれたりするわけです。おまけに、全員にきちんと名前があるので、誰が誰だかわからなくなるときがあるんです。
たとえば、『セイヴ・ザ・リーパー』では冒頭の三行でイヴ、ソフィー、フィリップ、デイジーと4人出てきます。フィリップとデイジーがソフィーの子供たちであることはわかるのですが、イヴとソフィーとの関係は何ページか読み進めないとわかりません。結局、イヴはソフィーの母親、つまり、イヴ視点からすると、親、娘、孫なわけですが、そのことがもう少しすぐにわかってもいいと思うんです。
要するに、年齢も関係性も明示されずに読み進めるのが、少しストレスに感じるときがあるんです。
こういったところが、マンローの小説にはときどき見受けられます。
注意深く読んでいると、さりげなく関係性が記されてはいるのですが、読み飛ばしていると気がつきません。単に僕の読解力の問題かもしれませんけど、短篇の中に何人も出てくる場合、もう少し親切でもいいんじゃないかと思っちゃいます。
あたりまえのように(なんの説明もなく)名前だけ出てくると、「あれ? この人って出てきたっけ?」と戻って確認することになります。そういうのって、親切とはいえないですよね?
アリス・マンローが優れた作家であることに疑いの余地はないのですが、いま一歩大好きになれない理由のひとつはこういったところです(とはいえ、わかりやすさが売りでもないので、これでよいのでしょうけども)。
さて、今作です。
邪推かもしれませんが、ある作家の作品に翻訳される順番があるとしたら、当然出来のよいものからになるでしょう。代表作や売れそうなものから翻訳・出版し、好評を博したら別のものも出版される。それが定石だと思います。
マンローの場合もノーベル文学賞を受賞してからたくさん翻訳されたようで、やはり知名度や売れ行きとは切っても切り離せません。
その点を考慮すると、今作のように後から出版されたものは、やはりいまひとつな気がします(もし素晴らしければ、先に翻訳されてるはずです)。
悪くはありません。悪くはないのだけれど、他のものも読んで気に入った人が手に取る一冊に思えてしまいます。
マンローの小説を何冊か読みましたが、今作は正直、あまりグッときませんでした。本書に収録されている作品がよくないというよりは、もっとよいものを読んでしまったために、物足りなく感じてしまうといった感触です。
文体と視座は紛れもなくマンローのそれなのですが、物語としてどこかまとまりに欠けるというか、焦点が合わないように感じるところがありました。まとまりすぎても図式的になってしまいますが、少しぼんやりした話が多かった気がします。
とはいえ、マンローにしては珍しいコロキアル(口語体)な文体で書かれた『変化が起こるまえ』は興味深かったです。手紙形式なので、文体がいつもと毛色が違います。話自体もなかなかよかったです。
あくまで個人的な感想ですが、佳作ではないでしょうか。