シェアしたい本 末永幸歩さん「13歳からのアート思考」 かつてのあの感覚が蘇った!
今日はワクワクしながら一気に読んだ本をシェア。
末永幸歩さん
「『自分だけの答え』が見つかる 13歳からのアート思考」
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美術教師の末永さんがある仮説を持ったところから始まる。
それは「美術」を好き・嫌いの分岐点が13歳、中学生ということ。
確かに中学の頃、私は「美術」が嫌いだった。それは残念ながら、画家としての才能を持っているが、教えることに向いていない、特に生徒に対する言葉選びがいけてない美術教師だったことが主な原因だったが、自画像や写生をする内容にワクワクすることもなかった。
子どもの頃、描いたり作ったりするのに夢中だったのに、なぜだろう。
その理由が本に描いてあった。それは数学のように1つの「正解」を求めていたからだったようだ。もっと自由に、もっと自分の感じたいように「美術」と向き合えていたら、それは違ったのかもしれない。
本では「アート的なものの考え方」=「アート思考」について教えている。植物に例えて。
・私たちの目に見えるところにある「表現の花」=作品
・その根元にある大きな丸いタネ「興味のタネ」=興味・好奇心・疑問
・「興味のタネ」から無数に伸びる「探究の根」=作品が生み出されるまでの探究の過程
真の「アーティスト」と、著者が「花職人」と呼ぶものの違いは何か。この「花」と「タネ」と「根」の、どこに集中するかに関わる。この分析は私たちの日常のあらゆる場面において通じるものだと思った。
人は目に見える「花」にどうしても目が行きがちだが、末永さんは「興味のタネ」を持ったら、いかに「探究の根」を伸ばせるかこそが大事で、「表現の花」を咲かせられるかどうかは二の次だという。果たしてこれまで時代を切り拓いて来たアーティストの中には、亡くなってから評価される人も多い。
そんな彼らの作品をいくつか例に上げ、その「探究の根」をどう伸ばして来たか、どういうアート界の“常識”や秩序を壊し、新しい価値観や視点を生み出して来たのか、その分析がとにかく面白かった。私たちがいかにさまざまな思い込みに囚われているかに気づかされる。
そして末永さんは最後、アートが投げかけている問いに対する答えは1つじゃない、だからこそアートを通じて「自分なりのものの見方・考え方」を取り戻せると結ぶ。
本を読み終わって、久々に絵画が観たくなった。
いつの頃からか忘れていた、自由な“感性”を取り戻したいと思った。
ここからは私の経験談になる。私は絵を観るのがずっと好きだった。「美術」の授業は嫌いだったが、高校2年生のときに良い出逢いがあったのだ。
当時通っていた塾の先生が絵画に造詣が深く、教壇の横にセザンヌの「サント=ヴィクトワール山」シリーズのレプリカが飾ってあった。
◇ サント=ヴィクトワール山 1887年 油彩、カンヴァス 67×92 cm
雑談の中で先生がふと「この絵は動くんだよ」と一言。「は〜!?」と思いながらもその言葉が頭に残り、授業中、ちょこちょこ絵を眺めていた。
数日だったか、数ヶ月だったか定かでないが、いつものように何気なくその絵を眺めていたある日、突然、絵の中の木々が動き出した。「…ザザザ…」という微かな風の音も聞こえた気がした。
私は目を疑った。でも、確かに動いたのだ。動いているように見えたのだ。
休み時間、私はすぐさま先生にこのことを伝えた。先生はにやりと笑い、「セザンヌはね、2次元に4次元を閉じ込めた画家なんだ」と言った。
それからセザンヌに興味をもち、彼の絵を観るようになったら、例えば静物を描いたものは、どう考えてもこのままだとこのりんごはコロコロ転がっていくアンバランスな描き方をしていることを知った。先の木々も、その筆のタッチでまるで動いているかのように描いているのだと知った。
面白い…!!!!!私が絵画を観ることに目覚めた瞬間だった。
それから3年後、大学で上京した私は、美術館に行きまくった。そんなある日、大丸・東京に、あの、私を絵画に目覚めさせてくれたセザンヌの「サント=ヴィクトワール山」のまさにその絵が来日することを知り、すぐに訪れた。
その絵は想像以上に大きかった。私は…その絵の前から動けなくなった。その景色の中に、私は、居た。ような錯覚に陥った。絵の中に入り込む、それは初めての体験だった。
そこには批評も、知識も、何も要らなかった。ただその絵の世界に入り込み、ただ感じていた。自由に。幸せだった。
あれから20数年、世間の正解を求めてまぁ割と上手に生きてきた私。でもこの頃、そんな他人軸の生き方に違和感を覚え始めていた。そんなときに出会えた末永さんの本が、かつての自由に感じる感覚を思い出させてくれた。
コロナ禍で不要不急ではあるけれど、だからこそ訪れる人の少なくなっている美術館に、一人、自由な心で訪れようと、密かに誓う。だって今、猛烈に、本物の絵画に触れたい。この衝動は私にとって、必要至急だ。
自分の感性で、自由に生きたいと願う人にシェアしたい本でした。