HEAL
Amazonプライムで公開中の映画『HEAL』を観ました。
2017年の映画なんですね。
この2年後には世界がパンデミックに!
この映画の小さなメッセージが届くことなく、世界は病気の恐怖からますます医療とワクチンに依存するようになってしまいました。
この映画では、医療の限界と自己治癒力の重要性を訴えていますが、コロナ・ショックで何が起きたかと言えば、医療の限界がハッキリと証明されたのです。
ところがコロナの猛威は、自己治癒力などと呑気なことを言っている場合でも無くなりました。
そして最悪なことに、ワクチンという非常に限定された『物質』にすがるしかなくなってしまったのです。
死を恐れる人間が、たった数滴の化学物質に依存する。
自己治癒力や自然のエネルギーといった壮大なものを信じるのではなく、わずかな量のワクチンを命綱としてすがりつく……
しかもそのワクチンは万能でもなく、むしろ副作用に苦しんだり、命を落とす人もいるというのに……
もはや『自然生物としての人間』を放棄し、粗悪な油を差しながらやっと動き続ける機械に成り下がってしまったかのようです。
さて、本題です。
この映画の中では、ストレスとは、太古の昔に、いつ猛獣が襲ってくるかもしれないという環境に暮らしていた人間が、常に危険を敏感に感じ取り、その危険に対処するために逃げるか戦うかという覚悟をするための反応が、現代社会では『人間関係』や『仕事や生活のプレッシャー』といったものに置き換えられてしまったと解説しています。
猛獣なら、襲ってきた時に身を守り生き延びることができれば、ひとまず危険は回避できます。なのでストレス反応が持続することはありません。
しかし現代社会の猛獣=人間同士の関係、仕事のプレッシャー、お金や時間の管理は、それがストレスだと感じた場合には、24時間、365日、回避することはできません。
すると、危機的状況から身を守る反応をずっとずっと続けなくてはいけないことになってしまいます。それがさまざまな精神疾患を生み出すのだということです。
精神疾患だけでなく、本人の意識に上らないストレスが身体をむしばみ、ガンや免疫系の病気なども生み出してしまう。
しかし医療は表面的な病状に対処するだけなので、その根本原因までは探らない。
余計に患者をその症状に縛り付けてしまうことになったりする。
だからこそ、根本から病気を治すためには精神的な安定をもたらすヒーリングが有効なのだということを、ドキュメントを通して訴えているのです。
ここからは私の考察です。
何が危機的状況になるのかは、その個人の感じ方や環境など、複雑な要因が絡み合って決まります。
同じ職場で働いていても、そこの人間関係を心地よいと感じる人もいれば、敵ばかりと感じる人もいる。
本人の捉え方だけでなく、周りも相性の良し悪しを感じているのですから、こればかりは巡り合わせとしか言いようがありません。
太古の昔なら、猛獣対人間というわかりやすい関係性だったものが、いつ、だれが、何が、敵になるのかわからない状況なのです。
こんな大変な世の中に生き抜いているのですから、自分で自分の精神や身体をコントロール出来る人の方が少ないのかもしれません。
そして、何故こんなに身の周りに敵を作ってしまうのかという根本原因に、幼少期の親の養育態度が大きく影響するのでしょう。
どんなに有能な個体であろうと、その個体が生きていくための基本的な方法は、親から学ぶしかありません。
動物なら、狩りの仕方や敵から身を守る方法、美味しい果物がある場所、水がある場所などを、親の姿や行動を真似して学んでいきます。
人間も例外ではなく、生まれ落ちた子どもが自力で言葉を覚え、衣食住を維持する方法を覚え、対人関係を築くことなどできません。
親の姿を真似、親のやり方を真似、問題が起きた時にどうすれば良いのかを親に聞きながら成長していくのです。
そのお手本となる親が、常に子どもに猜疑心を向け、子どもに対して「お前など必要ない存在だ」と言葉や態度で示し続けたら、その子どもはどうやって生きていけば良いのでしょう。
動物なら、育児能力の無い親のもとに生まれるのは死に直結します。
しかし人間の場合は、狩りをして食べ物を取って来なくても食べ物や衣料が手に入り、住むところもあるために、かろうじて生きることができます。
ましてや子どもを放置して死なせたら犯罪ですから、どんなに冷徹な親でも、犯罪にしないように子どもを生かしておかなくてはいけないという心得だけはあるのです。
こうしたことが、親としての責任を放棄した親を見えにくくしてしまうのですが、まともに育ててもらえなかったために、身体は生きていても、心は生き抜く方策を持っていない子どもたちがどんどん増えてしまったのではないでしょうか。
映画の中では、ストレスは何に自分が反応しているかという問題であり、そのストレス反応を解消していくことで、ガンのような深刻な病も治すことができると信じる人たちが、さまざまなセラピーに取り組む様子が映し出されます。
その中で多いのが、やはり幼少期にショッキングなことに出会った経験から、似たような場面に出会うと身体が反応してしまい、それがストレスとなって身体を攻撃してしまうというケースでした。
小学校時代に学校に持って行ったものをみんなから馬鹿にされた経験が未だに恐怖の感覚となって染み付いている中年の女性なども居ました。
そんな些細な経験が一生を左右してしまうほど深刻なら、私など全てが深刻で、よくぞ生き抜いたなと思えました。
だって、物心つく前から、そのままの赤ん坊らしい赤ん坊でいることを許されず、病気になれば(もしかしたら乳児期の経験から自己免疫不全を起こした結果の病弱だったかも?)自分で治せと言われ、学校では母が手をかけ過ぎる私は甘やかされたワガママな子だとして叱られ、クラスメイトからは排除され……
癒さなくてはいけないポイントを見つけるよりも、生きていて良いといえるポイントを見つけることの方が難しいかもしれません。
病は気から
だからこそ自分の気を整えてより良く生きよう
というのがこの映画のテーマですが、
病を招く『気』を作り上げたのは、他でも無い親だとしたら、
病は人災
と言えるかもしれない。
私はそんな風に感じてしまいました。