作品を創らなければ、作者にはなれない。
当たり前のようなことを、タイトルとして言わせて頂きました。
私は「スランプ」時期かのように、なんにも書けない日々が続きました。それなのに、心の中では「文章を書くことを生業としたい」とか思っているのです。
で…思ったことは、放っておけばこりゃ一生書かなくてなるぞ、ってこと。
志があるのに、実際の「アクション」がない状態。過程とは、自分の意志で創り出すもの。だということを分かりました。
何かしらの文章を書くには、「考える」行為が必要であると、今さら気付くのです。白紙に向かい、言葉、いや発想を元に膨らませる。作品を「作り上げる」ために「努力」をしなければ!
それは、心にモヤモヤや何かしらのエネルギーが溜まっていれば、本当の声で勢いで書けることはあるもの。その循環が働かない時は、それでも作者になりたいのであれば、自分で動くことが必要なのではないかと、目覚めた次第です。
今日は朝から一編の詩を書きました。それに似合う写真を撮ることにも成功しました。そしてお昼からはもう一編の詩に取り組んでいて、今、それにかかっている最中に、ふとこのタイトルが浮かんで来たので、書き留めておこうとnoteを開きました。
肝心の詩の方を、理由あってまだ公開できてなくてごめんなさいね。いつか時が来たらお見せしますね。
このような「気付き」を得られたのも、書けない時期、書かない時間があったからこそ。人生に無駄なことはないのだなぁ。このことを糧に、これから書く時間、書く人生を創り出して行こうと思います。
白紙に向かう時間が大事。心の窓から「ヒント」や手がかり的な「キーワード」が覗いて見えたら、その手を取って、仲良く遊ぶ。
そうやって書くことを進めて行こう。そして、完成させるまで、考えたり試したり、しっくり来る感覚に耳を澄ませて作品を生み出して行こう。